ひとり一句鑑賞(15)

  • 2015.02.06 Friday
  • 23:46


「京大俳句」第六巻(昭和13年)第八號

「会員集」より

 

兵となり男の嘘がふと消える  仁智 榮坊

 

女のこころのタイトルで三句の一句。無季で散文調の作品。兵となり男の嘘が一節で、後はふと消える。

嘘を交えた会話で戯れる男と女。ある日、男が兵となり出征すると告げ、女は驚き、現実に戻される。嘘であって欲しい。戦時中の男女のやるせなさ、くやしさが感じられる作品。特に内地に残された女のこころは如何ばかりか。叙情的で短編の一場面を想い浮かぶようだ。反戦を心の内に秘めている。(辻本康博)

 

「三角点」より

                                 


日章旗ひらひら遺棄死體の上  仁科 海之介                                          

 

戦争俳句が新興俳句の展開に中核的な意義をもつと、一致して当時の主導者は意気込むが、実作においてこれぞという句にはなかなかお目にかかれないようである。そもそも実際戦地にあって、目前の情況・実景をリアルに掴み取って詠むのではなく、銃後・国内で、例えばニュース映画などを見てイメージを得たり想像をはたらかせたりして作らざるを得ないのが実態で、当然いわゆるアタマ句らしいと判ぜられてしまう。

この句もそういう見方をされるものの一つかもしれないが、戦場に「遺棄」された兵士の屍が放っておかれている、それを弊履のごとく踏みつけて日章旗をかかげて進軍していくという戦争というものの実相を提出していることは、日本が中国において強引な戦争を拡張していることへの批判を含んでいるとみられなくもない。おそらく軍の当事者や国体維持の当局が弾圧に乗り出す口実に挙げる例句の一つだろうと思われる。

ただし、それをもってこの句が俳句という詩精神に資するかどうかは別の問題があると思うが、当時の状況に対する批判精神に、小生は共感を覚えるのである。(片山了介)                    

 
千人針見て地下道にもぐり込む  西田 等 


この句は特筆すべきだ。なぜかというと、当時の秘密資料に何回も収められているからだ。たとえば内務省警察局の「社会運動の情況12」には反戦俳句の例として挙げられている。又、「思想月報第78号」にも載っている。後者の場合は「平畑富次郎に対する治安維持法違反被告事件予審終結決定」という文書の形で、平畑静塔がこのような「銃後ノ生活苦等ヲ素朴トシタル反戦俳句ヲ一般購読者ノ投稿作品中ヨリ選句シテ発表」したことが彼の逮捕の理由の一つであるとわかる。

然し、私の卑見なら、この句を「反戦」と名付けるのは明らかに過言である。もちろん、「地下道」と「もぐり込む」の言葉遣いで、読者の中には不気味な気持ちが涌いているけど、この句の本音はやはり解釈によって違う。それは俳句自体の問題であるかもしれないが、表面が17音で限られているから、内容が曖昧であると決まっている。

にもかかわらず私が想像している風景も反戦っぽいといってもいい。「千人針」は季語の代りの戦争キーワードで、出征の意味が含められている。別れるとき(歓送)には母や妹などにお守りとして一生懸命に縫った千人針をくてれ、戦場に着るという習慣があった。作者がこのような出征と関連している千人針(自分のためのものであるか、他人のためであるかわかりません)を見て、私ももうすぐ戦場に立つかもしれないという不安な気持ちになる。それで逃げてしまう、自分の出征から逃げようとしている。作者自身は戦場には居たくない、又は戦場へ逝きたくない。それゆえに地下道にもぐりこんで、自分を隠そうとしている。他の千人針をモチーフとする俳句とけっこう違う風景であると思う。

Martin Thomas

 

ひとり一句鑑賞(14)

  • 2015.02.06 Friday
  • 23:39

「京大俳句」第六巻(昭和13年)第七號                    


「会員集」より


聖戦博飄々と来て去り華人  中村三山

 

ネット検索してみると、この「聖戦博」は昭和13年(1938年)春、西宮球場で開催され、球場の観覧席やフィールドそのものを戦場場面にする大規模なものだったようだ。三山はこの様子を詠んだようだが、掲句の華人よろしく、詠みっぷりも飄々と超然とした感じさえ受ける。国家総動員法が発令されて間もないこの非常時に、「聖戦」をどこか冷やかに見つめ、最後の「なかなか長閑」の一句などは茶化した感すらある。私の母も、旧満洲の開拓地で似たような中国人の態度を見たことがあると話していた。飄々とした態度の中にも、「今に見ていろ!」といった鋭い視線もみられたと言う。(新谷亜紀)

 

機関銃花ヨリ赤ク闇ニ咲ク  西東三鬼

 

戦争のタイトルで機関銃の連句(五句)の一句。五句の送り仮名はいずれもカタカナ。機関銃は引き金を引き続けると自動的。連続的に弾丸が装填・発射される銃。狙撃兵のように一人を狙い撃ちにせず、ただ闇に向って闇雲に銃を撃つ。無差別に・・。三鬼はこの無機質な機関銃を軽蔑し、日本を代表する桜(花)より闇に赤く咲く弾丸の火花を冷静な眼で詠んでいる。反戦の言葉はないが、闇、銃の黒に反発し、花を愛でる心がよぎる作品。(辻本康博)
 

  母と子

子は笑めり夫は死せり五月晴れぬ  瀬戸口鹿影

 

七句連作の第七句。この俳人は,亡父椎霞の遺品数百点の中に短冊らしいものが1枚だけあったのを筆者が遂に読み解けず断念して以来,ずっと気になっていた人である。

今回始めてじっくりと句を鑑賞した。音感とリズムのがっしりと落ちついた句風である。定型が僅かに崩れる兆しを示すが,崩れない。そこはかとないゆらぎを感じさせつつ安定に納めるという,魅力的な技である。この句は,「子は笑めり」と「夫は死せり」との明暗を対比しただけでなく,「子は笑めり夫は死せり」と「五月晴れぬ」との明暗をも二重に対比させている。戦争批判の言葉を一つも用いずに,静かに戦争を批判して見事である。特高刑事も,このような作風の俳人ばかりだったら京大俳句を検挙しにくかったのではないか。

私は,中村三山の「特高君」の連作俳句などはエリートの思い上がりで,不用意に弾圧を招来したと思い込んでいるのだが,鹿影はよほど常識人だったようだ。つい最近,滝川幸辰教授が,刑法講義中の「天皇君」発言だけでなく,戦後に京大総長を務め、学生運動との対立事件を繰り返したという,非常識な性格や言動の持ち主である事実を知ったのだが,歴史的事件となった権力対市民の衝突の脇や裏には人間の風格や生々しい感情が潜むことを,逆説的に感得させてくれた1句である。(野平大魚)


 

                                                     

「三角点」より   

                                                     

戦死者の背にひとつづつとまる蝶  西田 等

                                                        

兵隊は戦場に死すべき者として送り込まれて、戦闘して当然のごとく倒れ死んでゆく。そして「もの」となって弊履のごとく並べ積まれている。一人一人の戦死者の背に、蝶が1羽ずつとまっている――無心であるはずの蝶が、喪われた兵の命を哀惜しているかのように―――。映画「西部戦線異常なし」のラストシーンを直ぐ想起した、戦争の非情・残酷は人の感傷を吹っ飛ばしてしまう、洋の東西を問わない。(片山 了介)

 

チブス兵砲音とどき眼をつむる  宇都宮 杉男


「三角点」蘭の俳句で、平畑静塔に選ばれたものだ。彼のコメントによって、作者自身は何をあらわそうとしたかよくわからなく、「たゞ病兵の病状を述べるに止つてゐる。」それはそうであるかもしれないが、私にとって、この句には二つの記述すべき特徴がある。

それはまず「チブス兵」という新しい戦語(= 戦争の季語)の使い方だ。私が今まで読んだ戦争時代の俳句の中には見たことのない戦争用語であり、この句の新鮮なところの一つであると見られる。又はそれに関連して、この句は戦争における苦しみをきちんと語る勇気をもっている。チブス(チフス)は感染症で、特に戦場に蚤や虱などに媒介されたといい、既にナポレオンのロシア戦役のときに問題となった病気である。日中戦争においても莫大な戦死者の数の原因の一つだ。宇都宮さんの句にもチフスに苦しんでいる兵卒は結局死んでしまう。「眼をつむる」の言葉遣いでその兵卒は既に意識をなくしてしまったと推定できる。連句の一句で、前句には「死の近き」というヒントもある。「砲音とどき」の七音で、死の瞬間又はその句の全体的な瞬間性が見に染みるように強調されている。

纏めると、この句は芸術的に優れたものだとは確かに言い難い。ただ定型をまもり、麦秋という季語さえも前句の「チブス兵麦秋さわぎ死近き」に登場している。しかし、取材の面からみると興味深いものだ。「京大俳句」の特徴は戦争を批判することではなく、戦争をそのままうつすことだった。その一部分は自分の兵隊の苦難と損害も明確に表現することだった。戦争時代の日本にはそれでも犯罪になるというわけだ。他のメディアには勝っている強い日本軍というイメージしか伝えられなかった。国民の士気の低下を防ぐための手段であったが、言論の自由の束縛だった。平畑静塔が多くの投句の中からこのような婉曲ではなく、現実的な句を選んだのが理由があるだろう。(マーティン・トーマス)                                                      

 

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  「一句鑑賞余滴」  西田もとつぐ

 

子は笑めり夫は死せり五月晴れぬ  瀬戸口鹿影

 

 野平匡邦さんの瀬戸口鹿影作品の鑑賞には感銘をうけました。目立たない銃後の作品から抜き出し、行き届いた鑑賞は野平椎霞俳句の復刻に心血を注いだ匡邦さんの鑑賞力の賜物と思います。また作品の対句形式で触れたことは行き届いた鑑賞です。「京大俳句」の典型的な反戦銃後俳句の一つが掘り起こされました。自分が発表した一句鑑賞文を「ああ忘れていた」という人は論外であります、大きな題名の中は空洞のような論文より短くとも内容のある一句鑑賞文が後世に残る相応しい短文でしょう。

 ここでさらに屋上屋を架すと「子は笑めり」の持つ意味です。私は昭和9年生まれ80才を迎えます。1945年終戦の時は国民学校(小学校)6年生でした。まだ敗戦の意味が解らず大人達の号泣が不思議でした。太平洋戦争開始の頃から軍国主義の教育が一層厳しくなり、近い将来、「御国(みくに)のために」戦場に出征するのが必然であると教えられました。戦場を思い互いに軍歌を教え合ひ、体操の時間には木銃や木刀、長刀をもって校庭にすえた藁人形に向かって「鬼畜米英」「撃ちてし止まん」「突貫!」と叫びながら突進する訓練をしました。「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ」は物資不足に耐えるスローガンでした。都市部では児童が空襲をさけるために担任の引率による「学童集団疎開」が行われました。これも地元との軋轢や食糧難など、様々な苦しい問題が起こりました。

 「おめでとうございます。召集令状(赤紙)です」と令状が届くと令状の対象者の妻や母は平静に「有り難うございます。夫(息子)が御国のためにお役に立つことができ嬉しく思います」と答えます。出征日までに壮行会を開き、出征の日には「国防婦人会」の日章旗の旗行列に送られて最寄りの駅から任地へ出発するのです。この間、涙一滴こぼすわけには行きません。これが今生の別れかも知れません。これが「軍国の妻(母)」の姿でした。

 夫の出征を送った後、あるいは戦死の報が伝えられた、夜秘かに夫不在の悲しさ、淋しさ、戦死の悔しさ、これからの苦難を思ひ、たちまち涙が噴き上げてくるのです。鹿影はこれを「死せり」と表現しました。匡邦さんもこの悲しみを読み取っています。

 「国防婦人会」は出征軍人の歓送行列、戦死者の遺骨の出迎え、出征軍人、戦死者の留守家庭の慰問などに当たるために結成されました。これらの留守、遺族の家庭に「出征軍人の家」「英霊の家」などの門標を配布してこの家族を顕彰し相互扶助を行いました。門標のある家庭は銃後家庭の模範とならねばなりません。将来「お国のために一命を捧げること」を教えられ、戦争の意義、戦死の意味がまだ良く理解できない軍国少年にとってもこの門標のあることは誇りであります。逆に門標のない家庭の少年にとり負い目でもありました。「子は笑めり」は悲しみの対句ではなく、この少年達の誇りの「笑み」があります。

 

  主人なき誉れの家に蜘蛛の巣が    鶴 彬  1933年 昭和8年

  屍のいないニュース映画で勇ましい    同  1937年 昭和12年

  萬歳とあげていつた手を大陸においてきた 同
  胎内の動き知るころ骨がつき       同

 

 私の父は当時40才過ぎ、北海道の田舎に遠隔の単身赴任でしたが軍隊へ召集は免れました。あるとき母に「お父さんには何故赤紙がこないのか」と訊ねると、母は血相を変えて理由の説明なく「絶対にそんなことを云ってはならない」と激しく叱られました。その後、母に問い直す機会もなかったが、おそらく、口外には出来ない意味があることがわかりました。「父が出征しない幸せを考えなさい」と。父は40才過ぎで軍需産業の経営責任者であるための徴兵、徴用の免除があったようです。これらは当時、絶対に口にできない時代であったのです。「非国民」という罵声が飛び交う時代でした。


 

ひとり一句鑑賞(13)

  • 2015.02.06 Friday
  • 23:31

「京大俳句」第六巻(昭和13年)第六號

「会員集」より

パラシュート撃たるゝほかはなき白さ  杉村聖林子

降下中のパラシュート兵はひたすら撃たれる恐怖にさらされる。銃を抱えていたとしても、撃つ体勢をとれず無防備である。パラシュート兵の服が白とは限らないが、撃たれれば血の色が鮮やかに変わるだろう。白さは弱さや純潔と同義だが、白いパラシュートで兵の命は守れない。撃たれるしかない。
「パラ+シュート」とは、「落ち+ない」ことと「撃た(れ)+ない」ことの両義を持つ英語かと思ったら、全くの勘違い。parashoot が正しいなら「撃たれない」の意味でシャレになるのだが、parachuteが正しい綴りの、元は仏語(さらに元はラテン語)だそうだ。日本語には落下傘という名訳がある。
では、仏語chute(発音はシュートではなくシュット)とは何か。英語ではfall(落下)。仏語シュットから英語シュートに取り込む時に発音が長音に伸び、ここに私の誤解が生じた。角川外来語辞典は、日本語ではパラチウト⇒パラチュート⇒パラシュートと変遷したことを記録している。
墜落chuteは防げるが、射撃shootはかわせない。撃たるゝほかはなし。無力さと無念さを表現する末尾の「白さ」が見事に効いている。(野平大魚)

従軍僧焦げし一枝を挿して去る  石橋 辰之助

従軍僧は軍隊に従う僧侶のこと。布教と慰問をなし、戦死者の葬儀や弔祭、負傷者の看護にあたった。
戦争で焦土になった地に供華の代わりの一枝を挿した。墓標のない戦地での一コマの場面である。ただ声を出し経文を読むだけしか出来ない僧である。死者に代わって戦うことも出来ない僧の喪失感溢れる句である。代わって戦う気持ちは私の独断と偏見である。挿して去るの下五に僧として、人間としての悲しみと反戦への気持ちが見える作品である。 (辻本康博)


「第二回特別募集」より

屍凍むポキリと裸木月に折れ  東京市 古川克巳

「戦争」と前書きがあるので、「屍」は兵士であろう。その屍も凍るような寒い日。全てが乾燥しきり、木の枝がポキリと折れる音がする。月はその音を聞いたのだろうか。ただ煌々と屍を照らす。私は山口誓子の「悲しさの極みに誰が枯木折る」という句を思い出した。(恵)

雨阿呆(あっぽ)僕の辷り台(すべりこ)ぬれるのよ 志波汀子

志波家の庭にはブランコも辷り台もあったのでしょう。子供は詩人と言ったけどほんとですね。(綿原)


「三角点」より

職がない俺は戦争に行つちまへ  山口一夫

戦争を二つに分けるとすれば、血の臭いのするリアルな殺し合いと観念的な紛争劇。集団的自衛権の論 議に出て来るのはどちらの戦争かとふと思う。思わず目を覆いたくなるようなリアリティーに満ちた十七文字の並ぶ中で、この句は少し違った光を放つ。職にあぶれ、食う手段を失って自暴自棄になった者の向かう先が戦争だとすると、戦後69年経った今の日本の危うさはどうだ。リアルな表現に満ち溢れた昭和10年代の戦争俳句を、今の日本に照射する意味合いは、思った以上に大きいのかも知れない。(四宮陽一)
 

ひとり一句鑑賞(12)

  • 2015.02.06 Friday
  • 23:22
                                                                                             
「京大俳句」第六巻(昭和13年)第五號 

「会員集」より
 
老兵と鴉びしょ濡れ樹の上に  西東三鬼

「老兵」は老いた兵士でなく、ベテランの中国人狙撃兵であるとの前文付きの句。「ラオピン」のルビも振 られている。この樹の立つのは広大な満州の大地であろうか。折から降り始めた雨に濡れそぼちながら敵を待ち伏せる兵士の姿は、同じ樹に留まる黒い鳥の影と重なり合う。それにしても、三鬼はどこからこの光景を眺めているのであろうか?(四宮陽一)
 
老兵の彈子しづかに命中す  西東 三鬼

銃口の向けられている先もまた掛替えの無い命なのであるが、そのことには触れず、「しづかに命中す」と、冷静で抑制の効いた捉え方をすることによって、戦争そのものの異常さと、作者の嘆きの深さが伝わってくる。(小寺 昌平)
 
一兵士はしり戦場生れたり  杉村聖林子

一人の兵士が、「敵襲来」と言って走ってきた。そこから、銃弾が飛び交う戦闘が始まる。戦争とはこういうものであろう。きっと、作者は映画の一シーンを見て作ったのだと思う。実際に兵士として戦場にいたというわけではないからこそ、こんなにも冷静に描写できるのではないかと思ったりした。(恵)
 
入學の子等に櫻は笑つてゐる  淺田善二郎

散文の様な句である。解釈すれば成長して入学した児童たちに桜は拍手をし、うれしくて笑みを浮かべていると詠める。だがそうであろうか。桜を擬人化して用いている。桜と菊は日本の国花である。児童は日本のために頑張ってくれる宝である。いや国益のための兵士の卵である。日本(桜)は出征のための幼い子供たちの前途を喜んで大口を開け笑っている。作者は戦時中の世相を憂い、擬人法で作品を詠んでいる。軍国主義の日本への非難、戦争を嫌う作者の心情と解釈するのは読み過ぎであろうか。
(辻本康博)
 
征子ゆれ花人ゆれてゆく電車    井上白文地
稿起す馬蹄の音が風と消え

巻頭論文のタイトル「戦争俳句論」に肝がつぶれた。井上白文地「戦争俳句の見通し」,山口誓子「戦争無季俳句のこと」,石橋辰之助「戦争俳句覚書」の3人競演だ。騒々しい危険さすら感じられた。76年後の今の私が2年後の弾圧とその後の会員の悲劇を歴史的事実として知っているためである。
私は白文地論文の抑制の効いた表現に感心した。三鬼の名作「機関銃熱キ蛇腹ヲ震ハセル」すら「ただ気が利いてゐる,味方が鋭い」だけではないかと,あえて疑問を呈している。「今日のところ出征軍人によって,まだ注目せられるほどの作品が現はれないと言つても,今後数年の間には,これらの作家によって,優れたものが生み出されるであろうことは,想像に難くない」と大胆に予測した。
白文地自身の同号の会員集の4句は実に穏やかな表現から成っている。穏やかに表現の抑制ができた指導者が,狙撃されたかのようになぜ最大の悲劇に会わなければならないのか。2句のみ引用する。
   征子ゆれ花人ゆれてゆく電車
   稿起す馬蹄の音が風と消え
ここではたと思いつき,インターネットで「野平椎霞」を検索した。この時期,椎霞は他の会員に先駆けて応召し,陸軍佐倉連隊の軍医少尉であった。「軍医野平椎霞の慟哭 西田もとつぐ(「京大俳句」復刊準備会会報 1号)」がヒットした。西田もとつぐ論文を読んでシュンとなった。遺族が言うので自慢めくが,「従軍記」は,白文地の予測を裏切らなかった作品群であると西田論文は述べているに等しい。白文地はこれらの作品を見ることはなかった。(野平大魚)
 

「自由苑」より
 
戦雲の蹠か白い性病院  堀内 薫

性病院と言えば、鈴木六林男全句集の栞で宇多きよ子さんが「三好潤子と腕をくんでいた高柳重信が突然振り返ってあれが〈かなしきかな性病院の煙突(けむりだし)〉を書いた鈴木六林男だ、よく見ておくことだ、重信の少し前を行く鈴木六林男を指さした」を思いだした。この句、戦雲の真っ黒いイメージに足裏の白と中七を詩的にまとめつつ白亜の性病院の斡旋が悪くない。堀内薫の全句集には戦前の句は一句もない。あたかも自分の青春をカットして、新興俳句を見捨てての再出発であったかに。六林男の句にそんなに劣るとも思えぬが如何に。富澤赤黄男の句集『天の狼』の最後の句に〈三日月よけむりを吐かぬ煙突〉がある。(綿原)
 
 
                                                                                            
「京大俳句」第三巻(昭和13年)第三號(追加分)

「自由苑」より

 郷人の憂へ    
          −大内兵衛検挙−
郷人の憂へ初號活字「大内」        堀内 薫
「改造」に「中央公論」に君は厖大なりし
皇師征く氷原の記事と君の不忠
紙面黝く大學メンバーの寫真群
粉雪降る囹圄に君は錠鎖されぬ
 
「改造」「中央公論」ともに大正、昭和を代表する総合雑誌。昭和19年の横浜事件に巻き込まれ廃刊となった。
囹圄=獄舎  郷人=同郷の人 大内兵衛は兵庫県淡路島出身   皇師=天皇の軍隊、みいくさ             
「大内兵衛の検挙」とは1937ー38年(昭和12年ー13年)の人民戦線事件の渦中の事件である。コミンテルン(世界各国の共産党組織)の反ファシズム戦線の呼びかけにより日本でも反ファシズム戦線が結成を企てたと共産党以外の労農派の大学教授、学舎グル−プ、政党人が検挙された。大内兵衛、脇村義太郎、美濃部亮吉、有沢広看、加藤勘十、鈴木茂三郎、江田三郎の学者、労働運動家が検挙された。治安当局が治安維持法の適用の範囲を共産党以外に適用した最初の事件である。平畑静塔が「方舟の中(二)」(六巻五号)で堀内薫の作品を取り上げていることは、迫り来る治安当局の動きに危機意識をいだいていたのである。(西田もとつぐ)

 

ひとり一句鑑賞(11)

  • 2015.02.06 Friday
  • 23:11


「京大俳句」第六巻(昭和13年)第四號 

                    


「会員集」より


喇叭吹く星やはらかに生るる世を  三谷 昭


喇叭を巡る3連作の最初の句。荒涼とした戦争俳句の野を読み進んでいると、ふと殆どの句に季語が失われている事に気づく。戦争には季節感を寄せ付けぬ、あるいは四季の移ろいとは無縁の切迫感があるようだ。この句にも厳密な意味での季語は見当たらぬが、やはらかに姿を現す星には何故か春の季感が漂う。喇叭の音につきまとう‘戦意’とは離れた世界がそこにある。「生るる夜」でなく「生るる世」としたところがにくい。(四宮陽一)


軍橋もいま難民の荷にしなふ  平畑静塔


軍橋は造語である。軍が造った橋か、軍が利用するための橋かは分からないが、日中戦争の出来事である。軍の重要拠点である橋に、避難するための荷物を持ち多数の難民が行き交う。頑丈な橋も難民の荷物にしなうほどだ。作者は冷ややかな目線で、この風景を見つめている。軍のための橋が、今は難民の役に立っている。反戦の言葉は無いが、軍橋、難民、荷にしなふと言葉を繋ぎ、軍への皮肉、非難と合わせ、平和を願う作者の心情が読み取れる。(辻本康博)

 

生き疲れしひとぞ戦争に甦る   宮崎戎人


死にかけて生気が失せたような人も、近頃そわそわしている。景気が悪いと嘆いた人がぼやかなくなった。お祭りがあると急に元気になるように。景気回復の手段として戦争も有効と云った人がいたが、例えにしても庶民の蓄えが紙屑になる代償であることに間違いない。 三橋敏雄の「戦争にたかる無数の蠅しずか」を思い出した(綿原)

 
 

「自由苑」より

 

敵機載せ雲塊の吹雪き来るか  堀内 薫


堀内薫が昭和15年に逮捕された理由がこれまで理解できなかったが,今号を読んでその活躍ぶりが目を射た。「吹雪き来るか」は「吹雪きがきたる」ではなく,「吹雪いてきたるか」の意味だと思うが,「敵機待つ日々」連作5句の中で辛うじて理解できた1句。難解句ばかりだ。杭州南方から東方へ敵機12機が上空高く飛んで行った景を多分想像して詠んだ句で,「敵機載せ雲塊の」は映像的な表現として上手だ。内地や日本軍の被害を案じているかと思われるが,本質的には戦争を嫌悪している句ではないか。字足らずの下の句になんとなく不安を醸し出す感じがあるが,1種の技法なのか。「きたるか」「くるか」のどちらでも読めるというのは,日本語表記法の問題だとも思うし,不安を煽る効果があるのかとも思う。

堀内薫「事変俳句総論」は7ページの大論文で,岸風三楼の編集後記に取りあげられている。岸風三楼の会員日記では,山口誓子が「戦争と俳句」を翌日ラジオ放送するに当たり選んだ5句の中に堀内の句「天征くは青年将校と風伯と」が入っていると書かれている。「風伯」は風の神様だそうだ。

作句が減ってきた野平椎霞が大病回復後に千葉県佐倉連隊に入営し,翌昭和14年夏に病院船で上海上陸するのと対照的に,前年の京大俳句で堀内薫が縦横無尽の活躍をしていたことを知り,才能と逮捕の背景を納得できた。悲劇は近づいてきていた。(野平大魚)


よろこびはぢらせばふつと消えて行く  志波汀子


久しぶりの志波汀子の俳句。口語俳句である。私の場合「よろこぶ」ことの少ない毎日である。他人から見れば、ひょっとして喜ばしいことでも、素直に喜べない自分がいる。素直に表せば「よろこび」は消えて行くこともないのであろう。同じ作者に「よろこびはじつと抱きしめてをればよい」という句もある。しかし、「よろこび」は抱きしめていてはいけない。素直に表すべきである。(恵)


 

「三角点」より                                                 


寡婦貧しあをき若菜を買ってゐる  神戸市 藤木清子
 

ここで言う「若菜」は新年の七種粥に入れる菜のことだろう。「せり・なずな・・」いずれも香りが強く生気に満ちている。それに反して、自然の生命力からはほど遠い我が身。清子はこの頃、戦死者の未亡人ではない「寡婦」の苦悩を伺わせる句を多く詠んでいる。「若菜」の青さは残酷なまでに青く、目にも心にも沁み入るのだろう。(新谷亜紀)

                         


冬ぬくき寡婦に債鬼が訪れる  神戸市  藤木清子                                      


戦時下であっても、寡婦という身には、いつの世にも変わらぬ日常の生活はあれこれ続いている。冬になっても思いがけず暖かいと喜んでいた寡婦に、招かれざる借金取りが突然来たり、心重く冷えることである。庶民の生活の哀歓の情が平明に伝わってくる。冬ぬくしとキれば債鬼との異和感があるが、冬ぬくき寡婦ならば対照的に、俳諧的なドラマが感じられるように思う。 (片山了介)

 

紀元節五色旗掲ぐ家見たり   大阪市 樋口喜美子

紀元節学生の列に我行かず


紀元節は現在の建国記念日。明治六年、日本書紀の神武天皇の建国伝説を根拠に制定され万世一系の天皇制の国威を高揚する記念日であった。学校では式典が行われ、紀元節の歌を斉唱した。特に、昭和十五年を皇紀2600年にあたるとして様々な記念行事を準備した。日本は神の国であると戦時体制を強めていった。「京大俳句」の表紙の年号表示は西暦表示が多かったが、昭和14年七巻八号からは2599と表記されている。これは自主的なものでなく強制されたものであろう。樋口喜美子の句の五色旗は中華民国の国旗である。これを紀元節に掲揚した在日の中国人が親日的な意味で掲げたのか、抗日的な意志を表明したのか判断し苦しむが(当時、日本政府は泥沼化する日中戦争に手を焼き国民党を分裂させて親日的な傀儡政府を作らせようと苦慮していた。)作者の樋口は紀元節の行事には拒否姿勢を示している。それゆえに町中で見る紀元節の五色旗の掲揚は複雑な驚きであった。(西田もとつぐ)

 

砲火一閃野に進軍のうき上る  大阪市 橋本雅子


白文地選。作者名から推測して女性の作か。戦闘の場面が詠まれているが、実際にその場に居合わせることは無いと思われるので、事変ニュースなどからの取材かも。それにしては臨場感に溢れ、戦闘の不気味さを見事に突いている。(小寺 昌平)


 

ひとり一句鑑賞(10)

  • 2014.05.01 Thursday
  • 23:49

「京大俳句」第六巻(昭和13年)第三號

「自由苑」より

あひびきを眼下に蒼いかたつむり  堀内 薫

ひっくり返したような視点が新鮮でおもしろい。(えいじ)

雲のゐる枝をふうはり切りおとす  西田 等

日中戦争が本格化する昭和13年発行の本号は右を向いても左を見ても、戦争の高揚と嘆きの交錯する句が続く。この時期、花鳥風月も如何なものかとは思うものの、やはり息苦しさは否めない。その中にふと、台風の眼のように小さな青空が見えた気のする句がこれ。梯子を木に立てかけ高みへ上っていく作者。枯れ枝を切っていると次第に雲の浮かんだ空が広がってゆく。その先に夕餉の支度をする町が見えてくる。まだまだ日常がここにはある。それさえも許されない時がその先に控えているのだが。(四宮陽一)

二日閑かにけふ新聞の来ぬ平和  貞永 勝

病舎で療養している作者。現在も正月二日は新聞休刊日。当時も休刊日であろう。さすがに病舎も正月は閑かである。新聞の来ぬ平和。平和と体言止めで句を引き締めている。若者にとって当時の新聞は濁世の坩堝と思われる。戦時下の軍歌あふれる街、戦争に突入する日本を含めた世界情勢を国家統制の新聞は報道する。若者にとってそんな新聞を読みたくはない。そこで逆説的であるが、そんな新聞が来ないことが平和であると詠んでいる。
「さくら枯れてかなしき軍歌こゝに聴く貞永勝」第六巻第二号で私が鑑賞した俳句と同じ作者。若者の厭世感が感じられる作品であると書いたが、今回の作品もそれに通じるものが感じられる。最後に平和という、言い切った直接的な名詞に好感がもてる。(辻本康博)


「三角点」より

 白文地選
しづけさをつきあげて眸ひらきたり  神戸市 藤木清子

今月も藤木清子の句を選んだ。朝、目覚まし時計より早く眼を覚ましたときの感覚である。まだ暗いなか「生きているんだ」と、生を確かめるように「眸をひらく」。完全な無季俳句であるが、井上白文地も評しているように、「つきあげて」という語が効いている。(恵)

山茶花のよごれ咲く夜に戦ありぬ  大阪市 大間知君子

戦況はますます拡大し、出征兵士を見送ることも多くなった頃。山茶花が汚れ咲いている。白い花びらはきっと散る間際なのだろう。少し茶色がかって寂び寂びした感じ。そしていったん散り始めると、痛々しいまでにばらばらと一気に散る。今まさに最前線で戦っている兵士たちにも、もしかしたらこの先呆気ない死が待ち受けているのかも・・。そんな空恐ろしさと、銃後の暗い気持ちを静かに詠んでいる。(新谷亜紀)


「会員集」より

貸間を探す三十路の頸に風いたし  井上白文地

寒中見舞いに「風を烈み岩打つ波のおのれのみ砕けて物を思ふ頃かな」を本歌にした狂歌役人一首を作り,年末に急逝した同期生を悼んだばかりの私の目に,この句が飛び込んだ。「風いたし」の表現が,昭和12年12月の「京大俳句五周年記念大会」の頃の俳句界に生きていたと始めて知った。もがり笛がひゅうひゅう泣く烈風は文字通り「痛い」だろう。「風を烈み」の雅語が納得できた1句である。独身の白文地が烈風の中,頸をすくめて貸間探しに歩く姿は寒々と感じる。なお,記念大会の披講は「一等披講士野平椎霞が,音吐朗々・・・病後どころの話ではなく,広い講演室に響き渡る声」で行ったと,白文地の報告がある。椎霞は10年10月号を最後にほとんど俳句を発表していない(14年1月号の3句を最後に千葉県佐倉連隊から上海上陸)。この頃「永い間の病気だった」と次号に自分で書いている。三鬼も三山も一時はかなり重い病気と書かれている。寒い。(野平大魚)

青空にもがりぶえあり宿移る  井上白文地

白文地氏の、この冬貸間を探し引越した感想を詠んだ4句の一つ。その日は、晴れ上がった冬空に、虎落笛がうなっていたことであると淡々と述べている。引越し先での今後の暮らしがはたしてどうなるか分からぬが、「もがりぶえ」は烈風のうなりであり、新生活の明るい青空のなかに、一縷の緊張と不安をはらんでいるようである。こうしてみると、この1句は季語たる「虎落笛」に全く頼りにして成っている訳で、無季俳句の唱導者・白文地氏も、素直に季語の力を認めざるを得ないというところであろうか。(片山了介)
 

ひとり一句鑑賞(9)

  • 2014.03.10 Monday
  • 12:01

「京大俳句」第五巻(昭和12年)第十二號

「會員集」より

軍歌ながれ白き公園にわれも流れ  波止影夫

軍歌は「軍隊で兵の士気を高揚させるための歌、また俗に軍隊生活を歌った歌謡曲」(広辞苑)軍歌が流れている街を歩いていた私は公園に流れついた。破調の句である。ながれと流れと詠っている。それに白き公園とある。黒きではなく白きである。白は太陽の光線を反射させることにより見える雪のような色である。人々が楽しく遊ぶ公園で、楽しいひと時を過ごす。深読みかも知れないが、軍歌が流れる暗い時代にあって純粋に平和を願う若者の心情が見える。少し甘いが、感傷的な若者の気持が感じられる作品である。(辻本康博)

石人を濡らし古唐の霧ならず  西東三鬼

唐代の石人や石獣は墓を悪霊から守る、或いは王の威厳を誇示するためのものだったのかも知れません。どういういきさつからか、日本の銀座に近い画廊の前に展示され、霧に濡れていたという。「古唐の霧ならず」に、作者ならではの詩的創造力が感じられます。(小寺 昌平)

鮎のぼりのぼり日輪嶺にひくく  岸 風三樓

作者が武田尾に旅した時の作句。夏の渓流を鮎の群れが溯上する姿を飽きず眺めている。清涼な空気と煌く水の色が五感に心地よい。ふと気がつくと太陽は既に山頂にかかろうとしている。山峡にいる作者の軽いため息が聞こえてくるようだ。(四宮陽一)

柘榴食めば青白の激流偲ばれむ  宮崎戎人

後の4句をよめば若い男女のおデイトでしょうが、この一句のみで、読者の穿った読みに任されると 流れや、風景でなく心象である方がいいきがする。柘榴には、チビのころの思い出があり、好きな季語だ。今秋は石榴を詠うことに因んで一句を決めた。(綿原)

閨秀歌人しぐるる家に夫(つま)を置き  井上白文地

原阿佐緒、九条武子、柳原白蓮は大正の三閨秀歌人と言われたそうである。上層階級の美しく、教養のある、恋多き女性たちである。「閨秀」という言葉に驚くのだが辞書で意味を引くと、芸術に優れた才能を持つ婦人とある。こういう言葉で言われていたことに何とも嫌な気分になるのだが、当時は「女流歌人」とそんなには違わない感覚で使われていたのだろうか。いや、ニュアンスは全然違うなあ。
掲句は「閨秀歌人」が出てくる八句の中のひとつ。これは誰を指すのかわからないが、京都に住む女性の歌人なのだろう。他の句では黒猫を抱いて市場へ来る様子なんかが詠まれている。「しぐるる家」と言っているところに、綺麗に装ったその歌人へ向ける白文地の批判的な目がある。そして、普通家に居るのは妻であった頃の、「夫を置き」なのだから。(羽田野令)


特別募集「入選作品」より

かりそめの歸郷にあらず職あらぬ坂  冬一郎

失職日記抄の歸郷雜唄六句の一つである。「かりそめ」は「一時的なこと」であり、それを打ち消しているから、どうにもならないから帰郷したという自嘲的な意味も籠めていることが伝わってくる。昭和十二年という時節が詠わせたのであろうが「職あらず」と二重に否定しているのが日本の行く末を暗示しているようだ。(谷川昭彌)

 不眠症一句
虫の音にまみれて腦が落ちてゐる  藤木清子

五周年特別募集「入選作品」より、不眠症の一句という。驚きました。全くそのような夜を体験したからです。季節も虫の夜どおし、バカンス帰国している娘とのいさかいで孫を苦しくさせて……みたいな期間限定の私よりももっと深く絶望的な自意識。「頭でつくる」と師に叱られっぱなしの私は脳をこのように切り離すべきなのか。(石動敬子)
 
不眠症一句
虫の音にまみれて腦が落ちてゐる  藤木清子

不眠症である自分の脳が虫すだく草原に落ちている……実景としてはあり得ない。「虫」という季語独特の情緒なども皆無に等しい。なのに……何と生々しい表現なのだろう。10月号で詠んだ「沈んでゆくおもひ」が、「虫の音にまみれ」るほど溢れ出したのか。「脳が落ちてゐる」という隠喩によって、この時代に女一人で生きていくことの不安・孤独・疎外感がリアルに伝わってくる。このようなデリケートな感覚をストレートに表現できた「新興俳句の力」を感じる。(新谷亜紀)

街しぐれシュバリエの顔わらつてゐる  佐藤鮎彦

前年(1936)制作のフランス映画「シュヴァリエの流行兒」のポスターの、少し首を斜めにカンカン帽をかざしている主演のMaurice Chevalierを作者は眺めている。俳優の笑顔は、作者を取り巻く時代の侘しさと皮肉にも響き合う。しぐれの日本的詩情とフランス映画の取り合わせは、新興俳句の以前にないモダンな作風。今なお古さを感じさせない。(花谷 清)


特別募集「入選作品」より

天の川まれにものいふ妻さみし坂  冬一郎

二人で一緒にいるけど、それぞれの感じている寂しさを詠んでいる句である。「天の川」というと、秋の季節に入るが、同時に織女と牽牛との恋物語が頭に浮かぶ。今は妻と一緒にその物話の舞台、つまり天の川を眺めているが、その美しさを楽しむのはもとより、その美しさによって自分の孤独感も強調されてくるであろう。それ故に作者でも、相手でも静かに黙っており、話をする気にもなれない。いや、何を話したらいいのかわからない。「失業日記抄」や「帰郷雑唱」と題している句なので、将来への不安と心配が漏れる。二人とも深い物思いに沈んでいる。または私の想像だが、作者が新しい仕事を見つけたため、故郷に残る妻と子供との別れの日が近づいてきたかもしれない。その背景で月光に照らされている妻の横顔を見つめる作者がいる。そんな作者に気づかないうちに私は同情し、非常に感動した。(マーティン・トーマス)


「自由苑」より

 情痴  西田 等
ながき髪になでくれ甘き乳房の香に
白き腕にやさしき君の唄を聴く
つめたき掌つつみしづかな白き胸に
みつめゐる瞳がつよくてひかりそむ
わきいづるあつき泪ぞたふれけり
美しき耳ひそと情炎棲んでゐる
まるい乳房のまんなかにあるちヽくび
性欲のはての人間うつくしき

「情痴」連作八句。この時代に官能的主題に取り組んだ意欲的な俳句作品は例がない。言葉の斡旋もひらかなの使用により、この耽美的な世界を描こうと意欲的である。しかし連作の設計的な構成、作者の倫理観、時代の制約からか、エロチシズムのドロドロとした官能美が投げ出されずに浄化されている。これは一句完結の俳句表現の本質的な特質かもしれない。(西田)


「三角点」より

 白文地選
満月にけものゝこゝろ野を駈けり  豊中市 西田 等

「満月にけもの」から狼男を連想した。この句を読んだとき、ちょうど8月の満月だった。何か句を詠みたいと思ったができなかった。そんなときに出会った俳句である。作者は狼男を連想しなかったかもしれないが、満月は、なぜか人を魅了する。(恵)

こほろぎの命たかまり壁細る  大阪市 橋本雅子

秋の夜が更け行くにつれて、蟋蟀の啼く声が徐々に激しさをましてきて、さらにじっと耳を澄ますとその声は外庭と隔つ壁を貫いて、虫の命を切々と伝えてきてやまない。それこそ壁をも突き抜ける程の音声で、壁も薄くなったかという措辞がおのずから想われたのだ。共感を呼ぶまっすぐな観照があると思う。(片山了介)
 

ひとり一句鑑賞(10)

  • 2014.01.29 Wednesday
  • 14:06

「京大俳句」第六巻(昭和13年)第二號

「自由苑」より

さくら枯れてかなしき軍歌こゝに聴く  貞永 勝

丘の病舎のタイトルで、さくら枯れての連句の一句。さくらは日本の国花で、古くは「花」といえば、桜を指した。そのさくらが枯れて・・・。作者は当時の日本(さくら)を憂国と感じているのであろう。主観的な言葉で、かなしき軍歌と詠い、やりきれない感情をぶつけている。軍歌は兵の士気を高揚させるための歌であるがその軍歌の前に、かなしきと形容詞で強調している。しかも軍歌を体や心を病んでいる病舎で聴いている。戦時下での日本で、若者の厭世感が感じられる作品である。(辻本康博)

さくら枯れて咳の谺がするところ  貞永 勝

「丘の病舎」と題し、「さくら枯れて」を上五の7句、の6番目。勝は昭和13年4月9日亡くなり、6月号で西田等が「貞永勝君を深悼す」の10ページを編む。 崢膠幣〃を偲ぶ」井上白文地、◆崚蕁彑電磧↓「故貞永まさる君のこと」仁智栄坊、ぁ嵬蟻蝓從妥鎚嫂縵讚ァ崛曚そ个腔屬法彎谷黄火、Α峺凌佑悗了篆」村田有路、А崟犬ている勝」西田等以上7編。白文地が「私は特にさくら"一聯を佳品だと思う。病床にあって無上の諦観に達していたと思われる」とあり、生きている証の如く咳が続くかに。イ硫火が「1月5日のやまびこ吟社の新年句会に清書させた3句が絶筆かと書いている。しからば「丘の病舎」は本人が書いたか代筆になるか昭和12年年末に出稿されたと推測も淋しい。(綿原)

抱擁はいそぎんちやくに映りけり  堀内 薫

初めて、京大俳句の堀内薫の作品をまじまじと読んだ。この句は、明るく健康なユーモアと男性的自信をにじませている。カメノテやフジツボの甲殻類は美味しく食べられるが、こちらは食べられず、何の役にも立たない妙な生物であるが、こうして表現されたのは、種として名誉なことだろう。「映りけり」とは、カメラのレンズに似た動きをイメージしたものか、女性のお体の一部のつもりなのかは、さっぱりわからない。
氏は、創刊会員ではないのに昭和15年2月、突如行方不明となった。「荒磯」の連作に見られるように、魅力的な男性だったろう。吉永さゆり主演の若妻教師と生徒らの消し去れない悩みを描いた映画「北のカナリアたち」の暗さはみじんもない教師だ。洲本中学の生徒たちは憧れの先生の身に何がおこったか理解できずおびえた。もと教え子の1人、内藤信行氏は、私の従兄弟の妻の実父で、従兄弟の結婚式でただ一度野平椎霞も私も面会しただけだが、私はなぜか長く文通し、時々長電話をかけてきて豪快な官僚批判などあれこれ聞かされた。
以下、平成20年4月11日の長文の手紙の一部を転記する。野平椎霞合冊遺句集贈呈の礼状であるから、素逝の句と比較したりして野平椎霞の特質や俳句評を充実して述べているが、別の機会に譲る。会いたいなあと何度も言ってこられたが、その機会の前に亡くなった。
「京大俳句には私にも忘れ得ぬ接点があります。昭和14年県立洲本中学に入学したときの国語の先生に堀内薫先生がいました。京大昭和4年卒で京大俳句の創立にはかかわっていないようですが、後には深い関係を持った人です。誓子と天狼の創立にかかわったり、西東三鬼、平畑静塔らとも親交があったようです。授業の時板書したのが、長谷川素逝の「友を葬り涙せし目に雁高く」「わが馬をうづむと兵ら枯野掘る」の句でした。」咄々と戦争句の解説をきかされた。」(野平匡邦)


「三角点」より

  三鬼選
産毛いまだ濡れて煖爐の邊にねむる  東京 古賀順子

西東三鬼選で「娘伸子の初産」と題のある十句中の一句、生命誕生の前後が克明に詠まれている。新生児との初めての触れ合いの中で、主情を殺した眼の働きと、デッサンの確かさが魅力の句。(小寺昌平)

軒並に兵征けり露地凍てしまま 浜松 土屋安曇

戦争俳句真っ盛りの今号である。無季で詠むしかない、切迫した事象や情景を叙するに伝統の花鳥諷詠から脱して、新興俳句運動の存在価値をまさに演出するものとして、句作盛行の時節である。この句は「軒並に」が効いている。各家戸より老若男子全て徴兵され出征した街区の寂寥・空虚感が「軒並みに」拡がって在り、露地は救い難く凍てかえって寒々として変わることがない。軒並みにたつきの働き手を失った町を描いて、底流に深い反戦の思いを表わしている。(片山了介)

  白文地選
追憶の壁と時計の裏に棲む 神戸市 藤木清子

2月号は「戦争俳句特集」で、少々食傷気味のところへ、この句は新鮮だった。選者の井上白文地もべた褒めだ。白文地も言うように「追憶」「愛憎」「現実」などの抽象的な言葉は、使いようによっては陳腐に聞こえることもある。しかし、藤木清子の感覚は、現代の私たちにも十分に通じる感覚であると思う。(恵)

枯れ枝につかれし脳をかけてゐる 豊中市 西田 等

五巻十二号藤木清子「虫の音にまみれて惱が落ちてゐる」を類想する。清子の方が嘘っぽくて良いが、等の「つかれし脳」も共感できる。私なら差し詰め「腐りし脳を取り替えたい」ところである。(安藤英司)

炊事場にいつもゐる妻遠き妻  豊中市 西田 等

戦時下の重苦しい空気や病室の薬剤の臭いのする句が目立つ号にあって一旦通り過ぎた後、ふとまたそこに立ち戻ってしまう句がこれ。日常の風景のように毎日三度三度台所に立つ妻。いつもそこに居ながら久しく満足な会話も交わしたことがない。存在が当り前の空気のようなものと言ってしまえば聞こえはいいが、本当にそうだろうか・・。何気ない繰り返しの中で、お互いがいつの間にか遠く離れて行っているのではないか・・。今の世にも通じる夫婦の‘本当は怖い’生態をこの句はソッと語りかける。(四宮陽一)

ペロナール〇、八グラム秋は逝く  大阪市 吉田 薫

ベロナールはバルビタールのバイエルの商品名で、睡眠薬である。このことを知らないと、意味不明で退けられてしまうので敢えて挙げた。「行く秋」を「秋は逝く」と自殺願望的であるが、この量では死ねない。このあたりがロマンチシズムというか、わかってのことなら軽妙である。(安藤英司)


「会員集」より

機関銃一分六百晴レ極ミ
機関銃眉間ニ殺ス花ガ咲ク  西東三鬼

三鬼は前号よりカタカタを使用した機関銃の句を詠んでいる。「眉間ニ殺ス」と「花が咲ク」を並べて読むのか、「眉間ニ」「殺ス花」が「咲ク」と読むのか。意味を追うことはできないが、機関銃の(そして近代の)非情な鮮やかさを感じる。原色で描かれたような俳句。このような句を「戦火想望俳句」という枠に入れて考えるのはあまり意味がないのではないかと思う。(原)
 

ひとり一句鑑賞(8)

  • 2013.08.02 Friday
  • 11:03

「京大俳句」第五巻(昭和12年)第十一號


「會員集」より


夾竹桃灼けり出征の家こゝにも  岸風三楼


夾竹桃は盛夏を代表する花である。私にとって昭和二十年八月十五日、太平洋戦争終戦の日と甲子園高校野球を想い出す。勿論、二十年八月には生まれていませんが。特に赤い花は血とギラギラと輝く真っ赤な太陽を連想させる。作句の時代は暗黒時代と言われ、出征する家も徐々に増えていった。ただその時代の様子を詠んでいる平明な句であるが、夾竹桃灼けりと始まる、破調の句である。定型でないだけに気になった次第。家こゝにもには、友人の家かも、彼女の家かも、親戚の家かも−。作者の不安な、怒りの気持ちがこの句から伺い知ることが出来る。(辻本康博)


出征の机上きのふの如くあり  岸風三樓


この句は、出征して久しいがずっとそのままにして昨日のようだと、平凡な日常が無季で自然に表現できている。今月は気に入った俳句はなかったのだが、77頁下段後より4行目の三鬼の選後の言葉「この種類の俳句は・・・」が気に入った。無季ではないが三鬼の「はらわたをひきづる・・・」にこの言葉をそのまま返したい。(えいじ)

書にあきて冷き足をかなしめり  波止影夫

本を読むのに夢中になっていたときには感じなかった足の冷えを、ふと本から離れて我に返ると、感じてしまう。今だったら、本はパソコンであろうか。靴下を穿くのが嫌いな私は、冬でも素足であり、足の冷たさをこのごろよく感じる。これは年のせいであろうか。(恵)


子のうたふ軍歌が耳に一日あり  太田蝉郎 (蝉の字は本字)


戦争がどのようなものなのか、歌詞の内容が何を意味しているのかさえ知らない子等が唄う軍歌の不気味さ。そのあどけない歌声が作者の日常を揺るがすのである。(小寺 昌平)


血が冷ゆる夜の土から茸生え  西東三鬼


‘戦争’をテーマにした4連句の中の一つ。戦火が拡がり、轟く砲声に生きとし生きるもの全てが血を凍らせる戦争の日常。血を吸った冷たい大地から夜生えてくる茸は何を意味するのか。三鬼独特の戦争に対する生理的嫌悪がこの異形の生物の姿を借りて詠われているのではないか。(四宮陽一)

              
我講義軍靴の音にたゝかれたり  井上白文地


掲句は、68年後の平成17年3月、姫路市飾磨区の法華宗妙諦寺(みょうたいじ)において句碑となる。合わせて白文地の六十回法要が営まれた。白文地を敬愛する同宗の僧侶、上嶋智岳さん(「京大俳句」自由苑作家上嶋泉氏のご子息。わが「読む会」のメンバーでもある)がこの句を選ばれたそうだ。まだ写真でしか拝見していないが、智岳さん自らが揮毫されたというこの句碑は、太くて力強い楷書文字。自由にものが言えない、伝えられない戦争の世を怒る白文地の思いと、その思いを後世に伝えようとされる智岳さんの強い願いが込められている。(新谷亜紀)



「自由苑」より                                                 


泡盛屋戦地ニュースを壁に貼り  西田 等


現在のサッカーや野球のように得点経過ならいざ知らずこの時代、何処からの情報で、何の紙に、なんと書く?気になることが書かれていない。以前日本のデザイナーの草分け早川良雄氏が戦後、大阪市の配給のお知らせを一枚一枚書いていたそうで、残るものでもないのでと悔しがっていました。戦地ニュースもこれも銃後というのでしょうか、見たいですね。(綿原)


   わかれ1
化石した表情で二人だまつてゐる  上島泉

「このまゝで別れねばなれならぬ二人?」

遠ざかる姿あの娘の藍(あを)いきもの

これまでの上島泉から大きく変身しようとする意欲的な物語的作品である。この方向を求めるならさらに奔放な世界が必要。(西田)



 「三角点」より

            
コロナ燃え大向日葵に女(ひと)佇てり  京都市  先手院 白風                           


        
燃えるような太陽が冠状の光を眩しく放っている下で、大きな向日葵がおおらかにそのあけっぴろげな面貌をさらしている。生命の根源の太陽と、その光のもたらす力を満面に享けて咲く向日葵と、それは真夏の表わす、強靭な生命力を象徴している。この情景の中に、人間が加わるとすれば、男ではなく、生命の守護神である女人をおくしかない。太陽と女、神話の世界の始源は天照大神なのだ。しかし、この女人はただ佇ん でいるだけだから、あまりの眩すぎる世界に弱弱しく立っているだけなのかもしれないが、それでも存在感はある。ゴッホか、ルノワールの絵にあるようなイメージを想う。(片山了介) 

ひとり一句鑑賞(7)

  • 2013.08.01 Thursday
  • 18:11

 「京大俳句」第五巻(昭和12年)第十號

「會員集」より

二科の窓天幕の兵のどつと笑ふ  西東三鬼

二科展の会場の近くに兵が集っていた、というのはさすがになさそうなので、ひたひたと身辺に迫りくる戦争のあり様を描いた作品と捉えるべきだろう。兵の「どつと笑ふ」姿からは、三人の老婆の笑いとは異質の不安感が漂う。(岡村知昭)

あひびきす千人針の街角に  和田邊水樓

この句については、作者自身が同じ10号の「戦争と俳句人」という稿で、戦時下の逢引を不謹慎とする説 と子孫繁栄を図るためならむしろ忠であるとする説の間に立ち、やはり‘恐ろしき凡夫の煩悩’としてその苦しい感想を綴っている。ここには当然季語の入り込む余地もないし、自然の景もない。息苦しさだけが残る五七五を詠み、また聞くご時勢だけは二度と到来して欲しくないものである。(陽一)


あひびきす千人針の街角に  和田邊水樓
逢曳す 万歳の声巷にあふれ 

戦争一色にのめりこむ世情にあって、恋愛にうつつをぬかす者は「時節柄不謹慎」か、いや「かかる時節にこそ子孫の生殖をはかるべきで、銃後の逢曳も国家に忠なる所以」と反駁するか(P15−16和田邊水楼(戦争と俳句人」より引用)。戦争へと流れいき止めようのない時勢にあってもなお街角に逢曳の快楽を求めるは、煩悩熾盛の人の性であり、それをも抑圧せんとする国家・社会とのギリギリの葛藤を表現している、と思う。こういう事情を俳句の表現に持ち込むことには、多くの同系・戦争俳句と同じくかなり抵抗感をもつのだが……。(片山 了介)


沼はぎらぎら夫人とわれの性欲に  和田邊水楼

気になった一句。性欲の文字が目に入った。僕の好みとしては”性欲”といふ言葉を使はなくても甚だ性欲的で”沼はぎらぎらと夫人と我”だけでよろしいかと思ふのだが、これは好みの分量が多いから此の場合”性欲”といふ言葉の効果も一應認める ーーと会員集合評で三鬼は評している。私も同感である。”性欲”という言葉を句の中に表現すべきではないと思う。性は秘するもの(古い考えかな)それに俳句はすべてを言うのではなく、余韻を感ずる文学であろう。おこがましいが、われの厚き胸、夜が明ける。有季では雪しまき、雪はげし、五月闇、春愁などの季語で詠む、私の個人的意見である。(辻本康博)


  軍事郵便
夕あめ悴は戦に征きて候(そろ)  仁智栄坊
哨兵よそなたの嫁は自害せり

他の飛行機搭乗を含め広い意味の戦火想像句であろう。この二句は軍事郵便のイメージより創作された物語的な風景である。物語的な風景の創作はそれが真実か否かを通り越した創作世界に及ぶことは否定されるべきではない。「嘘」の創作を恐るべきではない。しかし、俳句の短い詩形では「自害」の意味が伝わりにくい。(西田)


バンザイを風雨の底に聞きし思ひ  芝昌三郎

無季でしかも口語で戦争を詠んだら、この人は本当にうまいと思う。「台風に出征の街は褪せたり」と「あてのない夕ぐれの鋪道たゞ硬い」に挟まれた連作三句のうちの真ん中にある。三句目の「あてのない」の句は、戦争に関係なく、悲しい出来事にみまわれたときの心境を表す句と解釈してもいい。(恵)
                                                                
                                                                 

千人針を前にゆえ知らぬいきどほり  中村三山
千人力心たのしまぬ日は書かじ
日章旗を手にわれも国民の一人


 野平椎霞 「従軍記」より  
 千人針もじうすれゆき春かさね    昭和15年
 温石(おんじゃく)が千人針をあたためている  同
 赤痢みな千人針に巻かれてる  同
 同じ厭戦的な句ながら内地と前線との俳句の違いは興味があります。(西田)


                             
「自由苑」より

  戰火
葉鶏頭萬里長城灼けつらなり  堀内 薫
  

このひとは、題材によって書き方が変わる。これは、戰火想望俳句というべきか、葉鶏頭の複雑に色のまじる「赤」や群生のさまを、戦の炎や灼けつく太陽にたとえている。また、この句では万里の長城の焼けて連なる様をたとえる。敵国「支那」の象徴をものすさまじくえがくことは、日史事変の戦争のさまを表現しているのだが、作者の心理は、戦火の凄まじさを「風景」にかくところに焦点があり、反戦とも好戦とも心象はさだかにはうかがえない書き方をしている。が、世情に対して緊張していることだけは確かである。(堀本 吟)

白砂のあとさきの影非国民  堀内 薫

この戦時下に二人で土佐の荒磯を散歩していることに限りなく後ろめたさを言い得ているようで。定年になって大阪市の坪農園に、客待ちタクシーを横目に通ったときのことが思い出された。次元が違うけど。(綿原)

  中級登山
朝吹けば月まづ白き石と化る  上島 泉  

登山の句だというから、山小屋などにとまって、早朝に出発、かなり高いところで月を見たのだろうか。強い風が吹いている、山の天候が変わるとたちまち周辺の光景が変わるのだが、まず、月が白い石のように硬くみえてまるで白い石に変質したようである。化ける→化る(なる)という漢字が効いている。語らずしてこれからの難儀を予想できるような、不気味な暗示的な光景である。(堀本 吟)


           
 「三角点」より

白文地選
蜥蜴の尾空の深さと生きてゐる  大阪市  橋本雅子

白文地選の巻頭五句の内のひとつ。前書きが付された「英靈かへる三句」につづく四句目の作品。〈蜥蜴の尾〉は延命を図る蜥蜴が切り捨てるもの。蜥蜴とその尾が、それぞれ何を象徴しているかは、当時の時勢の文脈において解釈できるのだろう。掲句は更に、時代を離れて訴える普遍性も感じさせる。〈空の深さと生き〉は反語といえる措辞。〈蜥蜴の尾〉へ寄せる作者の眼差しが優しい。(花谷 清)

白文地選
きりぎりす昼が沈んでゆくおもひ  神戸市  藤木清子

世の中が大きな戦争の時代に入った昭和12年。寡婦となった清子の拠り所のない孤独感。そこへ社会への不安も押し寄せてくる。長く空しい「ひとり」の「昼」の時間が、きりぎりすの鳴きしきる夕刻へ、夜の闇へと流れていく。特殊でデリケートな女性心理を「昼が沈んでゆく思い」と表現する見事さ。心を研ぎ澄まし内観したこの作品は、藤木清子を代表する一句とされる「ひとりゐて刃物のごとき昼と思ふ」(昭和13年「旗艦」3月号)に通じる名句だと思う。(新谷亜紀)


三鬼選
蝶まひぬにちりんとほくもえさかり  大阪  かねもと愼

地球と太陽の距離はおよそ一億五千万キロメートル。一月四日頃に最も近く、七月四日頃最も遠くなるが、北半球はそのころ気温が高い。蝶の生まれる四月頃はその中間にあたり、舞うにはちょうどよい距離なのかも知れない。目の前の事象から宇宙との繋がりが見えてくる一句。(小寺 昌平)   

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