仁科海之介と藤木清子

  • 2014.10.02 Thursday
  • 10:46
[原・記]
 
「三角点」は、それまであった投句欄「誌友俳句」を廃し、昭和11年1号よりはじまった。
選者は井上白文地、平畑静塔を中心に、瀬戸口鹿影、西東三鬼、石橋辰之助、仁智榮坊らがつとめていた。

この「三角点」へ仁科海之介と藤木清子も投句していた。
投句者は選者を指名することができ、海之介は白文地選に、清子ははじめ静塔選、途中から白文地選へ投句している。
藤木清子の人と作品については川名大氏や宇多喜代子氏の研究により、広く知られているところであるが、
仁科海之介について知っている人は多くはないと思われるので、すこし紹介する。
 
仁科海之介
1914(大正3)広島県世羅郡甲山町に生まれる
1934(昭和9)頃 神戸の製薬会社に勤務
1936(昭和11)京大俳句「三角点」に投句
1939(昭和14)「自由苑」作家に推薦
1940(昭和15)1月号 会員に推薦
1945(昭和20)兵役(数か月)、終戦
1953(昭和28)カネタシャツ(株)入社
1956(昭和31)東京に移住、「三角点」創刊
1965(昭和40)退職、「三角点」編集に専念
1981(昭和56)『井上白文地遺集』編集委員
1983(昭和58)『中村三山遺句集』編集
1997(平成7)没
 
なお1953年に創刊された「三角点」は、戦後、「京大俳句」関係者の同人誌として創刊されたものである。
 
作品をいくつか紹介する。

〈「三角点」より〉
病む蹠月にふくらむ蚊帳を撫し(仁科まつち)  昭11.10
渡り鳥僕は転つてゐる石だ  昭12.11
少女訪ひ腕無き兵につき当る  昭13.8
あをきあをき兒斑のあたり魚およぐ  昭13.11
しとゞ蛾の翔めぐれり身の周囲(まはり)  昭14.1
 
〈「自由苑」より〉
日だまりに詳しく眺め新鋳貨  昭14.3
冠の上特急が過ぐる過ぐる  昭14.6
緑蔭にキラリキラリと鱗剥ぐ  昭14.7
徒食して己にそそぐ涙をもてる  昭14.12
 
〈戦後『三角点』より〉
人なき杜瑞々しきは岩の窪
雪降らす江戸紫の頭巾かな
叢の日本動けり鯉幟
時として冬木を登る空の色
 
仁科海之介と藤木清子のあいだには面識があり、海之介に「京大俳句」を読むようにすすめ、
投句のきっかけを作ったのは藤木清子であったらしい。
「俳句評論」に掲載された仁科海之介の文章より引用する。
 
「ホトトギス」の中から興って、水原秋桜子は山口誓子と共に新興俳句の緒を作った。やがて、その母体である「ホトトギス」にもその作風が影響を及ぼす迄に成長すると、新興俳壇は、また二分された。更に若い世代を集めた無季俳句の勃興と激烈な論争がそれである。
私が井上白文地師の門を叩いたのは、丁度この無季俳句旋風のさ中であった。
その前に、藤木清子という人がいる。
私は、奥吉備も果ての山中で退屈していた。藤木さんは水南女の旧名のままで、そこから、さ程遠くない海に取り囲まれた町に住んでいた。まだ総てが優雅な時代である。山国の若者達は退屈しのぎに、その海賊の栄えた町へ吟行した。藤木さんに会った。俳句をやるからには「京大俳句」を読むように示唆された。私は新興俳句も「ホトトギス」も知らなかった。
その後私は、再度その町へ訪れた。
藤木さんは、「何故、白文地門を選んだか」、半ば詰じるように尋ねた。「投句して見たら、白文地欄に載っていたのでそのまま続けている」と率直に答えた。藤木さんは笑った。私より十も年上であったろうか。その人の姿のように少し太めの声を出して笑った。
平畑静塔氏に傾倒しているのを知った。
(仁科海之介「回想の断片」 「俳句評論」昭和44年7月)

 
清子の句が最後に静塔選欄に掲載されたのが昭和11年9月号(昭和12年6月号より白文地選)、
海之介が「三角点」白文地選に掲載されたのが同年10月号なので、昭和11、12年のエピソードであろう。
「なぜ白文地門を選んだか」となじるように尋ね、平畑静塔に傾倒していたようだという文章が興味深い。
宇多喜代子編著『ひとときの光芒―藤木清子全句集』を見ると、
清子の「京大俳句」への投句は昭和13年8月号が最後で、以後は「旗艦」を中心に作品を発表している。
「京大俳句」を離れた理由はわからないが、俳句をやるなら「京大俳句」を読むようにと薦めたり、
指導者や投句先をその都度選び直していることから、
試行錯誤を繰り返していた新興俳句の中で、自らのめざす俳句がずいぶんよくわかっていた人だと思われる。
「京大俳句」の中心にいた会員だけでなく、その作品や俳論に刺激をうけた周辺の俳人たちの姿もとても興味深い。


 
 
 
 

 

1月例会感想と「-blog 俳句空間- 戦後俳句を読む」

  • 2013.01.14 Monday
  • 10:09
【原・記】

あけましておめでとうございます。
1月5日にさっそく 今年第1回目の例会を開催しました。
今回は、銚子より野平椎霞のご子息、匡邦氏がご出席くださいました。
私は残念ながら参加できませんでしたが、
羽田野令さんがご自身のブログに当日のようすと、
今回とりあげた「京大俳句」昭和11年4月号の内容について紹介されています。

http://yaplog.jp/ef_ef/ ←「けふえふえふとふてふ」(羽田野令さんのブログ)

以下に転載させていただきます。

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昨日の京大俳句を読む会は、野平椎霞の次男で銚子市長の野平匡邦さんが来られた。前半の小一時間いらっしゃった。

前号から始めた、読む会のメンバーによる掲載句の一句評がプリントアウトされたものを見て、堀内薫の句を評したのが多かったのであるが、匡邦さんは堀内薫のことを少しおっしゃった。

堀内薫は、京大事件で検挙された時洲本市の中学の教員をしていた。洲本のあんこ屋の内藤家が野平さんの遠縁に当たるそうだが、そこの子でその時中学生だった人が「堀内先生は突然居なくなった」と当時のことを語っていたそうだ。その人も何年か前に没したそうだが。


後半は京大俳句5巻第4號(昭和12年4月号)を読む。

巻頭は「篠原鳳作論」と題する平畑静塔の文章なのだが、とても険のある書き方である。

鳳作のことを、白虹、三鬼の近代性を殆ど欠如している、と言い、調子は秋桜子以上に流麗だと書いている。
この秋桜子の流麗というのは褒め言葉ではなくて、京大俳句ではずっと秋桜子批判は底流として続いるわけだからかなり貶めて言っていることになる。

それに比べて、この号の後ろの方に書いている三鬼は全く違う。三鬼は文章もとっても上手だし、分り易いし、面白いし本当にいい。

「若き神々・その1」というタイトルで、俳人を○○の尊(みこと)と呼ぶという体裁。それは少しユーモラスでもある。白泉は本名の方が神様らしいとして、渡邊威徳(たけのり)之尊。

「こゝに登場する様な若き神々がゐてこそ後退しがちな新しい俳句が前進し得るのである」と言い、「鳳作の感覚を情的と云へれば、白泉の感覚は知的である。古来、詩歌を革新するものは新しい感覚である。この二柱の神は(一柱は神去給ふたが)ある時代の新興俳句を革新したのである」と言っている。

京大俳句はいつも京都の編輯だが、この号は東京の三鬼編輯で構成がいつもと違っていて、循環批評というコーナーがある。9人が輪になってそれぞれが前の人の作品を批評している。

この9人の中に東京三(秋元不死男)や片山桃史や、渡邊白泉が入っている。
特に白泉の句が面白かった。評者の北垣一柿は全然いいと言ってないのが不思議。
「新宿驛スキー展」と「薬用植物栽培試験場」と題する連作。それぞれ4句。

スキー展の句では、

  音もなく兵士入り来しスキー展

と兵士がスキー展に入って来たことをごく普通に見た景として詠んでいる。
後の

  憲兵の前で滑つて転んぢやつた

の句などを思い起こすと大変面白い一連だとW氏。
確かに憲兵の句はこの句の延長線上にある。

四句目が

  女がふとをらざりしスキー展

という句で、私は最初、女性でスキーをする人はこの時代少なかったからか等と思ったのだったが、兵士が入ってきて、あー怖い怖いと女が居なくなっていると読むべきだろうとY田さんが言われた。
あ、そうかと気づかされる。兵士が入って来た後に置かれている句であるし、そうなのだ。

白泉は市民生活の中に入って来ている"軍”の姿をきちっと捉えている。述べてはいないが兵士に対する嫌悪感も見える句である。

「藥用植物栽培試驗場」では「東西す」という言葉が出てくる。
東から西に行く事だろうと漢字から意味を推し量られるが、造語だろう。
一句目は

  藥草園正十文字の徑ひける

とあり、きちんと区画された中に植物が植わってる様な所を思い浮かべる。

四句目が

  藥草園飛行機の機影東西す

で、薬草園の十文字の上を真横に黒い影が過ぎてゆくところが浮かび、これも機影が意味深な句である。

それから面白かったのは、対談の中に取り上げられていた誓子の句が、四四四四という韻律だったこと。
それはこれである。

  たゞ見る起き伏し枯野の起き伏し  『黄旗』

こうやってみて見ると、七七句が八音になったという感じである。古家榧子が四四四四だと言っているのであるが、四四四四というよりも八八という方がぴったりすると思う。


また、この号には無季俳句ばかりの十俳人による「無季作品」というページも作られている。
その中に富沢赤黄男もあったのだが、時間がなくて全く触れられず。

他は、堀内薫の句を取り上げて井上白文地が書いているエロティシズムについての文章が印象的だったのだが、時間がなく、これに関連して私が持って行った資料での、俳句誌「里」104号に取り上げられていた大正期の中西其十という人の俳句の少しの紹介だけで終った。


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また、堀本吟さんからは、新年より新しくスタートしたブログについてのお知らせをいただきました。

-blog 俳句空間- 戦後俳句を読む
http://sengohaiku.blogspot.jp/

この中で堀本さんは、ご自身の研究テーマの一つに「京大俳句」を取り上げておられます。
http://sengohaiku.blogspot.jp/2013/01/blog-post_8780.html

以下に一部転載させていただきます。

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「京大俳句」(戦前の)にあらわれた戦後的モチーフ、および同誌に投稿された「戦争俳句」の研究は、注目すべきです。 

「京大俳句」読む会は、大阪俳句史研究会の分会ですが、これのみを独立したテーマに掲げ、読書会がおこなわれています。昭和15年の京大俳句事件(俳句弾圧事件)まで、この大学同人誌が包んでいるテーマやモチーフは、戦後にひきつがれる要素が散見します。また、新興俳句の理論付がそうとう公式的唯物論なのですが、しかし、その自らの理論の粗い網をくぐり抜ける、彼らの直感は正しいのです。戦争や国家の弾圧自体も無効にして戦後に直結するモダニティがあります。代表の西田元次氏の悲願である戦争俳句の研究についても、この世代の後世へのメッセージとして、受け止めておきたいものです。

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私などは、「京大俳句」を読みながらも、それが戦後俳句や現代俳句にどのように
影響し、つながってきたのかをあまり理解しておらず、それゆえに、「京大俳句」で展開される
理論や試みを、自分なりにどう評価すればいいのかわからない、というのが現状です。
(私だけかと思いますが・・・)
ぜひ参考にさせていただきたいと思います。


寒い日が続いておりますが、みなさんどうぞお元気でお過ごしください。









「篠原鳳作と天の川」その2

  • 2012.11.20 Tuesday
  • 21:45
 【原・記】

前回の記事で紹介した、羽田野令さんのレポートの内容に関する資料を
発表者の前田霧人さんがネットにアップしてくださいました。

こちらからご覧になれます。

篠原鳳作と新興俳句の部屋
http://mae.moo.jp/data/


紹介されている資料は以下の資料。

1、甘美晦渋論争を巡る 「傘火」と「天の川」の確執
   (「傘火」昭和10年6月号)
2、甘美晦渋 を巡る白虹と秋桜子の会談−「 棚橋影草の一面」
   (「俳句研究」昭和47年3月号 「特集=新興俳句」)
3、「天の川」に突っ返された鳳作の馬酔木評
   (「傘火」昭和10年10月号)
4、秋桜子の鳳作追悼文(「文藝春秋」昭和11年11月号) 

当時の様子が伝わってきます。

「篠原鳳作と天の川」

  • 2012.11.07 Wednesday
  • 00:54
 【原・記】

先日行われた11月例会、わたくしは残念ながらまた欠席だったのですが、
今回は前田霧人さんが篠原鳳作についてのレクチャーをしてくださいました。

参加された羽田野令さんが、ご自身のブログにその内容を紹介されています。
http://yaplog.jp/ef_ef/  ←「けふえふえふとふてふ」(羽田野令さんのブログ)

ご了解をいただき、転載させていただきます。

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読む会のメンバーの一人、前田霧人氏は篠原鳳作の研究家である。今日の会の前半は前田氏による鳳作の話。別の方から「天の川」の鳳作追悼号の資料を事前に貰っていたのだが、そこに出ている追悼座談会がちょっとヒドイくて。それが何故そういう内容になっているかについて前田氏から聞けた。

私が少し前に担当した「京大俳句」昭和十一年十一月号が、鳳作の死の直後に出た号だった。
西東三鬼の「鳳作の死」と題する三句が載っていた。

 鳳作の死   西東三鬼

友は今朝死せり野良犬草を噛む
わらはざりしひと日の終り葡萄食ふ
葡萄あまししづかに友の死をいかる

連作で出された中で、三句目だけが有名になりよく取り上げられている。三鬼自身の自選句集『三鬼百句』(昭和二三年刊)にもこの句は入っている。

三鬼は「京大俳句」のこの号に追悼文も寄せている。「九月十七日の午後、電報が来た。篠原鳳作がその日の朝死んだと書いてあった。」と始まっている。この号では平畑静塔も「鳳作の死を悼む」という文章を寄せている。

篠原鳳作と言えば、「しんしんと肺碧きまで海の旅」であるが、これは連作「海の旅」の中の一句である。昭和九年十月、鳳作の連作五句の「海の旅」から第二句の「船窓に水平線のあらきシーソー」と第五句の「甲板と水平線のあらきシーソー」が外されて三句のみ掲載された。それは雑詠三句欄の二人目で、巻頭の五句の人からは十八番目であった。そんな目立たない所に載った句であるのに評判になったのである。

鳳作の雑誌である「傘火」には全五句が載せられていたが、まだ「傘火」は無名な雑誌であった。

鳳作が亡くなった時、関わりのあった雑誌は追悼特集を組んでいる。「天の川」昭和十一年十一月号は巻頭には、鳳作とともに「傘火」を創刊した人の文章が載っていたりするのだが、東京での座談会のページは、読んでいてあれあれ?と思う様な記述が多々あった。

緑風という人や北巣子という人は何かにつけけなすのである。鳳作が俳句に非情に熱情を持っていたという会った人の発言に対しては、禅寺洞がむっつりした牛のような人だと言っていた、と発言しその言葉のあとに括弧に入れられて(菓子だけは手から離すことができないらしい)とその時の様子を描写している。他にも「お煎餅を噛じるのに忙しい中」等と皆でバリバリ煎餅を頬張って要る様子を伝える。追悼の会だというのに。

句についても、緑風は「ルンペン晩餐圖」は迫力に欠けていたとか言うし、北巣子は「如何なる場合にも作品に十二分に力を与えていなかった」とか言うのである。「にぎりしめにぎりしめ手に何もなき」という赤ん坊の句について、i音のリズムの魅力があると誰かが述べると、「今更取り立てて云ふべくそれほど目新しいものではない」と言う。この発言は内田慕情という人である。

鳳作がこのように書かれるのは、天の川の人達に嫉妬されたということがあると前田氏は言う。天の川が無季俳句宣言をした時の巻頭が鳳作だったことが反感を買ったのだとか。前田氏は天の川のこの号は鳳作がひどい扱われ方をしているので、中は読んでおいて下さいと言って目次についてだけ話された。

目次をみると横山白虹の名も見えないのである。それは昭和八年の甘美晦渋論争に端を発しているとのことである。甘美とは馬酔木、晦渋とは天の川で、秋桜子と禅寺洞との論争であるが後に二人は和解し、横山白虹は天の川の仲間を説得しようとしたことが逆に天の川の同人達との距離を生むことになったそうである。結局白虹は「天の川」を離れ昭和十二年、「自鳴鐘(とけい)」発行することになる。

秋桜子は、馬酔木では鳳作追悼を書かなかったが、「文芸春秋」昭和十一年十一月号には鳳作への哀悼の意の籠った文章を寄せている。そこにはこうある。「鳳作君は無季俳句の人であり、私とは相容れぬ見解を持つてゐるのであるが、その作には何か魅力があつていつも心がけて読んでゐたのであつた。私をして言はしむれば無季陣中第一の作者であつた。」

前田氏は資料としてご自身の著作からの抜粋のコピーをくださったのだが、「京大俳句」と鳳作の関連もいろいろあって面白い。鳳作が「『無季戦線に叫ぶ』其一」という文章を書いたのは、京大俳句昭和十年六月の所為だという。私達はもう既にその号は読んで来たが、そういうことは知らずに来た。私達と言ったが、私だけかもしれないが。

鳳作の「レコードの夕べ」を揚げて静塔が「作品月評」で厳しい評価をしていたり、福永和夫(=波止影夫)が「俳句の境界を引く」という文章の中で「無季俳句の建設。それは俳句の舞台から詩の楽屋への花道である」等と述べたことや樟蹊子の編輯後記などが、それ程まで言われては書かざるを得ないという気になったらしい。

「京大俳句」十年六月号を少し読み返してみた。樟蹊子の「正に天の川無季俳句建設に対する一斉射撃です」という後記の文章は、「天の川ともあらう論陣が、無季俳句如きを徹底的に理論と平行し建設しなかつたのは確かに愚。後でグズルことの上手な連中よ、出会へ出会へ。「まづ作品から」は逃道を作つて居ると思はれても仕方があるまい。」と、ほんとに喧嘩を売っているのに驚いた。

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篠原鳳作は、当時から新興俳句陣営にとって特別な存在だったのだろうと想像していたのだけど、
周辺にはいろいろと渦巻いているものがあったのでしょうか?
「馬酔木」と「天の川」は、ここまでの「京大俳句」に影響をあたえた2大俳誌であると思うのですが、
そこで活動していた俳人たちが、俳誌を越えて関わりあい、当時の俳句が編みあげられていたことがうかがえて興味深いですね。




9月例会感想

  • 2012.09.27 Thursday
  • 14:30
 【原・記】

爽やかな季節になってきました。

ずいぶん遅れましたが、ようやく9月の感想など。

その前に、9月8日の摂津幸彦さんのシンポジウム、
残念ながらうかがえませんでしたが、ライブ映像がアップされているのを見つけました。
http://twitcasting.tv/gunshaku/movie/6318485
音が小さくて残念ですが(うちのPCだけかも?)、耳をくっつけてとぎれとぎれ拝聴。

さて、「京大俳句」昭和12年1月号。

巻頭は和田邊水楼の「十二年度俳壇への期待」。
「現在無季俳句の存在理由が兎や角と論ぜられてゐるのは、畢竟傑れた作品が未だ多くは制作されてゐないからである」という草城のことばが、当時の様子をあらわしているようです。11年の1年を振り返り、ヒューマニズムの問題、リアリズムの問題、生活性の問題、風刺俳句の問題など、多くの論文が書かれたが、「文壇流行の後をついていく気の利かない二番煎じ」であり、雑な模倣論文の氾濫に、虚子が「新興俳句、なんぞ大志なき」と言ったという。
そのような指摘を納得したうえで、筆者邊水楼は、しかしまずは、「新しき俳壇を作る論文」、「新しき時代の俳人たる資格を戦ふこと」が必要だったのであったのだといっております。「新しき時代の俳人」としての姿勢を問いたかった、ということでしょうか。

西東三鬼「馬酔木への期待」
秋桜子については、「先生にはもつといい処があるんじやないかね」という馬酔木同人の言葉に共感。
誓子については、「誓子氏こそは真に新興俳句作家だと思ふ」と、作品「ダイヴィング」を鑑賞、大絶賛。

 ダイヴイング  山口誓子

拡声器プールに低き私語をする
ダイバァアが白き鉄塔を攀ぢのぼる
ダイバァアが高きに肩の息づける
ダイバァアの頭ずぶ濡れて浮きいづる
ピストルがプールの硬き面にひびき

「これらの線、色彩、スピード、硬度、音響が規則的に現出するものは、数学的な、(科学的な)冷酷な、(非人情的な)整頓された(主知的な)世界であり、これこそは近代美の疑ふ可らざる要素である。」「私はこの作品の中に、近代建築の持つ魅力と同じものを発見する。これこそは私達が、私達の俳句に盛り込もうとした詩精神である。この精神を解し、これを体得して俳句に相対する人のみが、真に明日に続く作家と云へるのである」などいろいろと。
ここまで誓子を手ばなしで讃えていたのは、この時期の「京大俳句」では三鬼だけのような気がする。

「十二年度天の川への要望」波止影夫
口語俳句にもっと積極的に取り組んでみてはという、提案。
これまで口語俳句は、単にリズムの新形式として、表現としての新しさにとどまるものであったが、天の川が「リアリズムを俳句のリアリズムとして理論づけようとする門出にあたり」、口語表現による、リアリスチツシュな表現を試みてはどうか。。。難しそう。。。

「以後の問題」諏訪望
「……無季俳句の詩感なるものが、他の分野の詩感とは、その性質を異にする。いはば新しき俳句感なるものであり、之が最短定型と密接な接合裡に存在する事を、実作と理論の上に於いて証明すべきであろう」
「短詩型に文芸的色彩を濃厚にするにはややもすると、短詩型の印象を希薄ならしめる危険があり、事実かかる一種の文芸的俳句の氾濫の兆候さへあると位である。……」など。

「俳壇月評」波止影夫
とりあげられているのは「俳句研究」に掲載された加藤楸邨の文章(口語俳句への批判)、「旗艦」、「句と評論」、「火星」、「土上」、「句帖」、「北支俳陣」、「芝火」。

今号から始まった「自由苑」(「三角点」のなかより推薦された人が自選句を発表する)の志波汀子の「朝と風」は、Longfellow "Daybreak" を俳句形式で翻訳したもの。珍品?
発表者の米田さんか詳しく解説してくださいました。

また今号では、新会員紹介のほか、「顧問」の名称を廃し、顧問であった鈴鹿野風呂、日野草城らは「賛助員」となること、山口誓子は現在「会員」であるが会員としての責務を果たせないので「賛助員」となること、なども告知されていました。
新会員は、浅田善二郎、仁智栄坊、村木馨、中島正夫、久山康、東専一郎の7名。
創刊より、「顧問」→「会員」→「賛助員」と山口誓子の立場はよく変わりますね。「京大俳句」と誓子の距離の取り方には、草城らほかの顧問にはない特別なものを感じます。

 






8月例会感想

  • 2012.08.15 Wednesday
  • 13:28

 【原・記】

予定していた『天の川』昭和11年11月号の読みは延期。
『京大俳句』昭和11年12月号1冊だけを読みましたが、それでも時間が足りず後半は駆け足気味。
まとめてくださった羽田野令さんによると、今号のところどころに『馬酔木』と秋桜子への批判がみられたとのことでしたが、秋桜子はこの年の3〜12月、「無季俳句を排す」を発表中。
創刊時にはあたたかなエールをくれた秋桜子とも、ずいぶん距離が。

私が今号で面白く読んだのは、橋口尖太郎「口語俳句作品」。
橋口尖太郎は藤後左右のペンネーム。左右といえば「京大俳句」創刊時に「牛の貌チブス患者の夢にくる」や「横町をふさいでくるよ外套着て」などを発表し、戦後も超個性的な口語俳句を詠みました。
週刊俳句 Haiku Weekly で関悦史さんが藤後左右全句集について詳しく書いておられます)

さて、左右の文章によれば「本年に入つてからの口語俳句の実践は特に著しいものがあつた」。
なかでも「旗艦」と「句と評論」に多くの口語俳句が発表されていたようです。
ただ、悲観すべき作品がほとんどで「わづかな輝きのある作品を探し得て喜びとした」とのこと。

引用されていたのは、
「風鈴にこゝろをさなくなつてゐる」
「心臓がつかれてたてない月夜です」
「夏深しバツトの函が青すぎる」など(いずれも「旗艦」)。
しかし、どれもあまり評価は高くなく、季感のとりあつかい方や句のなりたちが従来の有季俳句の粋を出ないことや、文語と口語の混同がみられることなど、問題点が指摘されていました。
これまでの俳句と同じように作って、それを口語にしただけでは足りないということですね。
口語も文語も有季も無季も、あまり深い考えなく詠む自分にとっては、耳が痛い…。

金田廉子という人の「秋夜曲」という連作も紹介されています。これは出典が書いていないのですが、「句と評論」に発表されていたものでしょうか。

戸を閉ぢてねてゐる外は月夜です
私はねてゐるし虫はおきてます
私は闇です虫は真昼です
月光をあびてこほろぎ啼いてるし
  私は
目をとぢて夜の地球に乗つてゐる
左右は、二節をつなぐのではなく、一句の終りとしての「し」の使い方が面白いと。
しかし、連作だからか俳句というより口語自由詩みたいですね。好きですけど。

今号の京大俳句誌では、会員集にはほとんど口語句はみられませんでしたが、
投句欄の「三角点」には、けっこうありました。
「赤い陽とオゾンが弄る裸形です 仁科海之介」
「天井に押しつけられて痩せてゐる 中内草男」
「兄の負傷怒つた父が草鞋はく 有吉峰水」
「ガソリンの青き匂ひを嗅ぎに出る 仁智栄坊」など。

そのほか、気になったものは上島泉の「田園と新興俳句」。
「然るに今日新興俳陣を横行する新興田園俳句と自称するものは…」とあるので、新興田園俳句という俳句があったようです。
「新聞が一度、東北地方の冷害飢饉を報ずるや大都会の塵埃の中から「東北飢餓の歌」を生産する時代であり、その取材する所は、新聞紙の報道に飽くまで忠実である」
このような批判は、このあとの戦火想望俳句の時にもあったし、おそらく震災を詠んだ俳句にもあったことと思います。
それはともかく、近代化した都市生活を詠むにふさわしい形式として発展してきた新興俳句が、田舎の生活をどう詠んでいたのか。この文章には作品の引用がないのですが、
同年7月号で波止影夫が「田園生活俳句のために」のなかで、具体的に句をあげています。

 貧農
炉火を守る父の眼光何をにくむ
炉火乏しこのひもじさを誰につげむ
 農閑期
雪降れば売りし娘のこと妻は泣きぬ
などの句を示し、「単なる通有性が存在するだけであり」、「形式と内容のギャップが全く不用意に無視されている」と指摘しています(引用されている句は「馬酔木」のものですが、これに似た俳句は「京大俳句」にもよく出てきたように思う)。
つづいいて「ホトトギス」の中田みづほの作品で、
凶作の蜷も田螺も腹がたつ
凶作の通る坊主も腹が立つ
をあげ、「これ等の句には少なくとも形式と内容のギャップがない」「農村的単純さが効果的である」としています。
飢餓にしても戦争にしても新聞記事で俳句を詠むという態度はどうか、ということでなく、「形式と内容のギャップ」という点をよく覚えておこうと思いました。

そのほかにも、井上白文地がミヤコホテル論争について触れた文章や、座談会、昭和11年のまとめなど、盛りだくさんの1冊でした。

あとは、新谷さんがコピーを用意してくださった「俳句史研究の資料について」(櫻井武次郎)。
「読む会」では、資料の収集や調査なども引き続きやっていきたいと思っているのですが、
ちかごろ滞っております。うーん。

また、資料の話もここで色々と書いていけたらと思っています。



7月例会感想

  • 2012.07.19 Thursday
  • 09:51
 【新谷・記】

今月はまず米田さんから、「京大俳句」昭和104月号掲載座談会

「『黄旗』の印象を語る」の平畑静塔の言を受けての話題提起。

 

座談会の最後で静塔は、「満州に行つた虚子、たけし、野風呂氏等

の俳句と黄旗と比較することは面白いと思ふね。」と言っています。

そこで米田さんは、実際に高浜虚子・池内たけし・鈴鹿野風呂、3

の満州行の句と山口誓子の「黄旗」の句を比較してみようと、それぞ

れの句を掲示してくださいました。

 

私たちは比較する形で鑑賞したのですが、

「やっぱり誓子が一番!」という感想がほとんど。

「他と比べて切り口、つかまえどころが違う」

「スケールが大きい!」

「ロシア文学的」

「肉体派とも言える?!」

…と言った声も。

 

目に留まった誓子の句を数句。

 

  金州行

大枯野傾きて山を低うせる

草枯れぬ戦をかかる丘にせし

  湯崗子

傷兵は黄なるマントを白き衣(え)に

傷兵は冬も白衣(びゃくえ)に靴穿ける

  特別快車亜細亜號

枯野ゆく大き車輪に紅の輪を

 

それにしても、今回話題になった4月号座談会の中で、白文地の誓子

評が少し辛口になってきたのが興味深いです。さらには、静塔・白文地

共に、誓子の「黄旗」よりも「凍港」の方を随分高く評価していることも要

チェックかな、と思いました。

 

会の後半で勉強したのは、昭和1112月号。今号は、小寺さんが要点

をまとめたレジメを元に解説してくださいました。

 

波止影夫の「俳句の定型問題に就いて」の論評。
いつもながら彼の文
章は難解で、要点を捉えるのがやっと。
今回ご欠席の佐々木さんが
メールで、
「俳句の定型問題については、現在まで続く定型論で、内在率

や口語(散文)俳句など参加のメンバーにも結社により種々の立場の人

がおられるので、自らの問題としてどう考えておられるのか、ご意見を聞

きたい」とおっしゃっていましたが、そこまで話が及びませんでした。
また
機会があればぜひ話題にしたいですね。

 

今回参加のメンバーが特に興味を持たれたのが中山凡流「風刺俳句の

待望論」これについては綿原さんが感想を述べてくださるはず…?

 

「三角点」の作家たちがずいぶん腕を上げてきたのも頼もしく、今後が

楽しみです(俳句初級者の私が言うのもなんですが^_^;
今号では特に、
仁智栄坊の6句の中に、有名な無季の句
「戦闘機ばらのある野に逆立
ちぬ」が入っています。
後の白文地の選評に「仁智君は初めての投句
であり、恐らく初めての作句であらうが…」とあるのにはびっくりしました。

 

時間がないので今回のご報告はこのへんで…ごめんなさい。

 

梶谷さんが、天の川11月号(篠原鳳作追悼号)をご用意くださいました。

8月例会では、先に少し時間を取ってこれを読む予定です。後半は昭和

1112月号。羽田野さんに担当していただく予定。楽しみです。

 

私も、谷川昭彌さんの句集『ローマは雨』(ふらんす堂)をいただきました。

勉強になる素敵な句集です。臥せっている母にも音訳して聴かせたいと

思っています。ありがとうございました!(新谷亜紀)

7月例会どうでした?

  • 2012.07.19 Thursday
  • 09:30
 【原・記】

残念ながら今月も参加できなかった原です。
みなさんとは感想を述べあえなかったのですが、
新谷さんが、例会のレジメ(発表者:小寺さん)を送ってきてくださったので、
それを見つつ、今号を読んでみた感想をすこし書いてみようかと思います。

その前に、綿原さんから7月例会の感想が届きました。

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【綿原さんより】

今号の俳論は「風刺俳句待望論」(中山凡流)が切り口の奇抜さで一番です。


中山は京大俳句内のペンネームかもの心配がありましたが、
ネットに
・昭和58年 新泉北新聞(?)「新泉北むかしばなし〈81〉郷土
史家 中山凡流」や、

・堺輪業協会五十年史―堺の自転車物語 (1984) /中山 凡流

などの記述があり、堺の人のようです。1915-1993。

 

〈現代社会情勢は高度のファッショ化に進みつつありあらゆる自由を認めな

い、批判の対象となることを欲しない〉
風刺俳句がこの矢面に本気でたてるか疑問ですが、新興俳句の方向付けの一模索ともとれます。

 

前半の米田さんの満州での俳句誓子・虚子・たかしの比較は理論抜きで実感できました。

新興俳句の新しさでしょうか。満州朝鮮の地名と地図があればもっとわかりやす

かったかも。

会員俳句は数人ですが、三角点はすごく盛況で121月からの自由苑作家誕生直

前ということでしょう。

----------------------------------------------------------

私は、「風刺俳句の待望論」は、文章が難しくて…。
なぜ俳句で風刺を? というところがよく理解できなかった。
ただ、この時勢に「風刺」するというのは、相当覚悟がいっただろうなと。
(戦時中の風刺と聞いて思いだす鶴彬の「手と足をもいだ丸太にしてかへし」は1年後の昭和12年11月発表でした)

この年の9月に篠原鳳作が亡くなっていて、梶谷さんが参考資料としてご用意くださった「天の川」昭和11年11月号は、鳳作追悼号になっています。しかし「京大俳句」は、三鬼と静塔が短い文章を寄せているだけですね。それから会員集に三鬼の「鳳作の死」と題した3句。
もうすこし触れているかと思っていたのに。
(今回は「天の川」の方をしっかり読んでおいたほうがいいのでは…?)
鳳作の作品は、いつまでもみずみずしくて、素敵ですね。

今号は、たしかに「三角点」(投句欄)が熱く感じました。仁科海之介、須永勝、仁智栄坊、古川克己、上島泉、堀内薫など。
栄坊の「戦闘機ばらのある野に逆立ちぬ」は、もうすこしあとの、戦火想望俳句が盛んなころ(昭和13年ごろ)の作品かと思っていたのですが、こんなに早い時期に出ていたのですね。しかも会員集でなく、一般投句欄に。白文地に好評をもらっています(白文地が採ってなかったら俳句史に残らなかったかも?)。

波止影夫「俳句の定型問題に就いて」は、自由律俳句の側からの「俳句」の定義が紹介されていて面白かったです。

東京三の「新興俳句は今どういふ時期にゐるか」。「ヒューマニズム」という思想の俳句化を、どうすれば実現できるか? そのために形式の問題や、題材の問題、客観性と主観性の問題、などを実践のなかで考えていきたい、という。「俳句化」という言葉いいですね。実感としてよくわかります。

米田さん発表の満州句の比較資料、興味深く読みました。


暑くなってきましたが、みなさんお元気でお過ごしくださいね。







6月例会感想

  • 2012.06.02 Saturday
  • 22:42
 【原・記】

今月取り上げたのは、昭和11年10月号。

まずは井上白文地「『季の問題』に関する諸家の論駁に答ふ」
副題が、「長谷川素逝、飯田蛇笏、山口誓子等の諸氏に」。
ここから伺えるのは、
「なぜ、俳句は季語を有する季感詩でなければならいか」という問題に
素逝や蛇笏は、季に対する感動や関心は日本人の特性である、とか、
民族精神が季を根拠づける、といった答えを出していたようですが、
誓子の場合は、そのような問いに、正面から答えはいなかったみたいだ、ということです。
「何故そうであるかの説明は、できる場合もあり、できない場合もある。
俳句が何故に季を身につけているかの説明は〈それ以上〉は出来ないのである。
しかしそのことは少しも人間の恥辱となるものではない」。
また同じ時期の別の雑誌では、「季の問題は「当為」か「好尚」の問題」であり、
「俳句に「当為」などを求めて、それが見つかる筈がない」と、なんか
熱心に論争しているのが悲しくなるようなことを書いています。

波止影夫の「高屋窓秋論」。
この号には「白い夏野」の広告も出ていました。
窓秋の句にでている季語は、現実の季をあらわすだけでなく、心的描写や幻覚の
風景につながっている。
上の「季の問題」の論争とは、また別世界に感じました。
ここに引用されている窓秋の言葉からは、自身が分裂したり、幻を追いかけたりする
ことを実際に体験していることが伺え、興味深いです。

あとは、「京大俳句事件」が語られるときに触れられることも多い、
諏訪望の
「鶏頭陣主幹の選句後記に依れば、近来俳句の危険思想に対して
当局が目をつけてゐるとの事故・・・」という一文がこの号に掲載されていました。

中村草田男のことが書かれていた文章のなかに
「祇園」と題して「獣ゐて電気時計に甦る」という句が引用されていましたが、
これは、誰の句でしょうか??草田男? 気になります。
ご存知の方がおられたら教えてくださいませ。

谷川昭彌さんの句集『ローマは雨』(ふらんす堂)をいただき、
帰りの電車でさっそく拝読。素敵な句集ありがとうございました。


5月例会どうでした?

  • 2012.05.12 Saturday
  • 07:02
 【原:記】

5月例会は残念ながらわたくし欠席でした。
(雨のなかキャンプへ行っていました。寒かった〜)
どんな話が出たのでしょうか?

ざっと目を通しましたら、
8号の会員集に西東三鬼の「算術の少年しのび泣けり夏」が。
「五章」と題し、
「算術の少年しのび泣けり夏
 ハルポマルクス神の糞より生れたり
 緑陰に三人の老婆わらへりき
 熱ひそかなり空中に蝿つるむ
 熱去らず遠き花火は遠く咲け」
の5句。のちに代表句にあげられる句が同時に発表されているんですね。
(例会ではマルクス兄弟の話とか出たのかしら…?)
「熱去らず…」は初めて知った句ですが、
戦後「京大俳句」の中谷寛章さんの
「不意に醒めかなしきまでの遠花火」を思い出しました。

9月号は「口語俳句研究特集」。
本文は、ゆっくり読まないと理解できないですが、引用されている作品を
眺めているだけでも、私の知らない、この時代の俳句がいろいろと味わえます。
「ゆふぐれはひとみな老いてあゝいそぐ 桃史」
など、好きだなあ。
無季であり口語である俳句、と、川柳が比べられ、そこから
俳句の独自性を考えることができて面白そうです。
(しっかり読んでないですけど、たぶんそんなことが書かれているハズ…)

毎回2号ずつ読んでいるのですが、
次回6月例会は、昭和10年10月号1号のみを取り上げることになったとか。
このあたりは、ちょっとじっくり読みましょう。ってことですね。












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