6月例会感想

  • 2012.06.02 Saturday
  • 22:42
 【原・記】

今月取り上げたのは、昭和11年10月号。

まずは井上白文地「『季の問題』に関する諸家の論駁に答ふ」
副題が、「長谷川素逝、飯田蛇笏、山口誓子等の諸氏に」。
ここから伺えるのは、
「なぜ、俳句は季語を有する季感詩でなければならいか」という問題に
素逝や蛇笏は、季に対する感動や関心は日本人の特性である、とか、
民族精神が季を根拠づける、といった答えを出していたようですが、
誓子の場合は、そのような問いに、正面から答えはいなかったみたいだ、ということです。
「何故そうであるかの説明は、できる場合もあり、できない場合もある。
俳句が何故に季を身につけているかの説明は〈それ以上〉は出来ないのである。
しかしそのことは少しも人間の恥辱となるものではない」。
また同じ時期の別の雑誌では、「季の問題は「当為」か「好尚」の問題」であり、
「俳句に「当為」などを求めて、それが見つかる筈がない」と、なんか
熱心に論争しているのが悲しくなるようなことを書いています。

波止影夫の「高屋窓秋論」。
この号には「白い夏野」の広告も出ていました。
窓秋の句にでている季語は、現実の季をあらわすだけでなく、心的描写や幻覚の
風景につながっている。
上の「季の問題」の論争とは、また別世界に感じました。
ここに引用されている窓秋の言葉からは、自身が分裂したり、幻を追いかけたりする
ことを実際に体験していることが伺え、興味深いです。

あとは、「京大俳句事件」が語られるときに触れられることも多い、
諏訪望の
「鶏頭陣主幹の選句後記に依れば、近来俳句の危険思想に対して
当局が目をつけてゐるとの事故・・・」という一文がこの号に掲載されていました。

中村草田男のことが書かれていた文章のなかに
「祇園」と題して「獣ゐて電気時計に甦る」という句が引用されていましたが、
これは、誰の句でしょうか??草田男? 気になります。
ご存知の方がおられたら教えてくださいませ。

谷川昭彌さんの句集『ローマは雨』(ふらんす堂)をいただき、
帰りの電車でさっそく拝読。素敵な句集ありがとうございました。


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