ひとり一句鑑賞(2)

  • 2013.01.27 Sunday
  • 07:53

 【新谷・記】


「京大俳句」第五巻(昭和12年)第三號


「俳壇人物月旦」より


校塔に鳩多き日や卒業す   中村草田男

平和の象徴でもある鳩。それらが群れ翔つ高さに仰ぐべき校塔がある。おだやかに晴れた巣立ちの朝のめでたさ。(石動敬子)



「京大俳句」第五巻(昭和12年)第四號


「特輯機循環批評」より


クリスマス地に來ちゝはゝ舟を漕ぐ   東京三(秋元不死男)

十四歳で父に死別した作者は母と夜店や行商などもした。Xマスが地上に来ても、無縁の貧しく「舟を漕ぐ」ほかないちちはは。そこに目が行く作者。(石動敬子)

職工にパン屋の騾馬が遅れつヽ   東京三

「帰る職工(抄)」と前書きのある句。長時間のきつい労働を終えた帰路の職工の重い足取り。それよりさらに遅いパン屋の騾馬の疲れた歩み。過ぎ去った時間にある悲しみや安らぎが、過不足なく描出されている。(小寺 昌平)


「特輯2」無季作品 より


湯はあふれ幸福についてかんがへる   富澤赤黄男

別に何という事もない散文調の無季俳句なのですが、中国山東省で1年暮らした私の肌感覚には妙に訴えるものがあるのです。太陽の照る日だけ、限られたシャワーの湯にありつける生活を続けていますと、月に2回の休暇を利用してホテルの湯船で肩まで浸かる風呂は、何物にも替えがたい宝物になります。「ああ、極楽極楽・・」(四宮陽一)

湯はあふれ幸福についてかんがへる   富澤赤黄男

湯があふれるほどの風呂のなかで「幸福」について考えている。一日の疲れを取るために風呂に入る。しかも人間として生まれたままの裸でー。私も風呂に入って瞑想にふける。日によって仕事、家族、俳句、余生など色々と考える。「幸福」ついて考えたことはあまり無い。考えてわかる「幸福」は人それぞれである。しかし「幸福」でないから「幸福」について考えるかも。赤黄男の作品である。深読みしたくなる作品である。(辻本康博)

  『カモ』進水式拝観
巨線退き歓呼の皃がぶちあたる   内田暮情

私の住む神戸には、大きな造船所が二つもあり、小学校の遠足の1回は進水式の見学でした。シャンパンが割られた後、船台からゴーッという音とともに滑り落ちる進水式は圧巻です。船の舳先を「巨線」ととらえ、船は「進水」するのですが、見学者にとっては、まるで遠のいていくように見える。それをうまく捉えたと思います。今はこんな進水式をしている造船所はまずなく、ドックに水を張るだけだそうです。(恵)

スキー展の狭き階段を攀ぢよろけ   渡邊白泉
音もなく兵士入り來りスキー展       〃
スキー展兵士敬禮をなし合へり      〃
女がふとをらざりしスキー展        〃

前書きに「新宿驛スキー展」とある。「起承転結」風に構成された連作四句。作者の〈兵士〉をみつめる眼がシニカルだ。一句目〈攀ぢよろけ〉、三句目〈敬禮をなし合へり〉は揶揄を。二句目の〈音もなく〉と四句目の〈ふと〉が不気味さを、それぞれ、仄めかす。四句目の〈女〉が〈兵士〉と背反する存在として描かれている。白泉の代表作〈憲兵の前で滑つてころんぢやった〉〈戦争が廊下の奥にたってゐた〉などと通底する作品。(K.H.)

「三角点」より

健脚の君に椿の花降りぬ   佐澤比呂志

連作ハイキングの一句であり、若い男女のハイキングの景がはっきり見えてくる。分りやすい素直な句であるが、何か物足りない。写生俳句としてはいいのだが「何を言いたいのか」がよく分らず「京大俳句」に採り上げられているのが聊かどうかと思われる句である。(谷川昭彌)

早蕨に染みたる君の手をとらん   佐澤比呂志

万葉歌に連なる素直な詠嘆がある。「石走る垂水の上のさわらびの萌え出つ"る春となりにけるかも」志貴皇子(片山了介)

  政變の日−宇垣大将大命辞退す−
牡鶏が鳴いてゐて雪ひひとふる   仁科海之介

宇垣大将は1937年1月に広田内閣が総辞職した後総理大臣に推挙された。軍縮を進め軍部に抑えが利く人物として評価されたからだ。ところが、軍部主導の政治を目論む石原莞爾大佐らに阻止され、宇垣は組閣大命辞退へ追い込まれた(「ウィキペディア」参照)。この句は軍部が台頭してきた不穏な「政變の日」を詠んでいる。まるで「鬨の声」のように「牡鶏」が鳴き、雪が「ひひと」降る。「ひひ」という語感から「非」や「悲」を連想する。国家の「非」常時、「悲」劇である「戦争の時代」へ一気に進もうとしている不安感が伝わってくる。(新谷亜紀)


「京大俳句」第五巻(昭和12年)第五號

「会員集」より

絶壁に寒き男女の顔ならび   西東三鬼

「海濱ホテル」と前書にある連作六句の六句目。東尋坊のような絶壁に男女が並んで立っている。事情があり追い詰められた男女が飛下り自殺をする前の一瞬を感じさせ、読んでいて緊張感が漂う。しかし単に団体客が観光で、絶壁を見ているだけかも知れない。しかし三鬼の作品である。寒き男女の顔・・・表現が秀逸で人間臭いドラマを感じさせる作品である。(辻本康博)

あさざくら無数に黒き瞳をもてり   井上白文地

桜の蕊のところだろうか、そう言えば、瞳に見えないこともない。「花見」というと桜を見にいくわけだが、その無数の桜に見られているという感覚。「あさざくら」という季語もきいている。花見客でにぎわう昼間や夜では、この感覚は分からないであろう。(恵)


「三角点」より

わが純情聖なる君に稚(わか)くあれ   西田等

昭和12年5月号、三角点静塔選トップの「貞永勝兄へ」の4句の一句目である。同年3月号自由苑で《広告のわが詩に悔いて開店す貞永勝》貞永勝10句があるが、なんの店か解らない。西田等がこの店を訪れて、《開店の前をぐるりと廻るバス》掲句の5月号と同じ三角点白文地選に「春迎ふ坂の上なる君を訪ふ」と題しているので住宅地か?。等の敬愛の念浅からずで、今後相聞の句がでるか?楽しみである。鈴木六林男は「俳句は三人解ればいい、その一人は自分だ。」を思いだした(高点句が必要ないというのではない)、魂も生もので誰かのために句を詠む、その人目掛けて句を詠むがことが必要なのではないかと思った次第だ。(綿原)

虹雲は遠し地上に薔薇を切る   山口水星子

遠景と近景。事実を超えた心の世界。言葉より確かに作者の思いを伝えてくれる「物」。祈りのような存在の薔薇。(小寺 昌平)

故郷へ走る列車の窓枯るゝ   小田垣青城

志を果たせなかったのか、都会から田舎への帰郷の淋しさが「窓枯るゝ」の措辞に巧みに表現され、読者に共感を与えている。誰しもこうゆうことの経験はあるのではなかろうかと思う。平成の現在にも通じ、いわゆる「古さ」を感じさせない佳句であると言えよう。(谷川昭彌)

豊艶の山の噴煙(けむり)に散る椿   佐澤比呂志

桜島らしき旅のスケッチ。この作者のイメージ、叙情は簡明であるが、俳句としては言い尽くしてしまって余韻が乏しいうらみがあると思う。(片山了介)

霊柩車とまり昼空はてしなし   かねもと青虹

湿っぽくなくて、好感をもった。三鬼選。そのほかにも「ピエロ達菜畑の暮を見て佇てり」などが採られている。(原 知子)


「四月座談曾」より

枯園に向ひて硬きカラア嵌む   山口誓子

誓子は直球の人。当時は白線入りの帽と白いカラアの学生服だった(ネクタイは大人の特権で)。カラアの「硬き」がいい。枯と響きあって抑制のきいた青春性がまぶしい。(石動敬子)




 

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