ひとり一句鑑賞(3)

  • 2013.03.10 Sunday
  • 23:59

「京大俳句」第五巻(昭和12年)第六號


「會員集」より

 留日学生王(ワン)氏
王(ワン)氏歌ふ招魂祭の花火鳴れば  西東三鬼
王氏の窓旗日の街がどんよりと
編隊機點心の茶に漣立て
尨大なる王氏の昼寝端午の日
菖蒲湯の王氏や前をひたかくし
五月の夜王氏の女友鼻低き


股関節が柔らかそうなこの人の視野から掬われる素材の屈託なさに注目した。人との距離のとり方が自由自在でモデルが活写されている。招魂祭という旗日はわからないが、その日の王氏、と後半の日常(昼寝、入浴などの)のスケッチにはユーモアが躍動し、一読後ニヤリと、これこそ俳味というのか遊びの味がとくに女友の「鼻低き」に集約された。全く役者というか、監督というか。この人の存在自体になぜかふりまわされてしまうが愛さずにはおれない。困った人なのだ。(石動敬子)


編隊機點心の茶に漣立て  西東三鬼

點心とは、中国料理の軽い食事、また食事代わりに出る菓子のこと。掲句は、戦闘機が、茶器に漣(さざ波)を立てているのを詠んでいる。前書きにある留日學生王氏と共にした點心だろう。1937年当時、関東上空の編隊機の爆音を耳にする留學生王氏の心中が察せられる。中国人留學生と共に聞く上空で発せられる爆音を、室内の眼前の小さな器に立つ微かなさざ波と結びつけ、三鬼らしく視点が鋭い。(花谷 清)


尨大なる王氏の昼寝端午の日  西東三鬼

この俳句で惹かれるのは「厖大なる」の意味である。王氏の何が厖大なのか。彼の来歴か、意識・認識の内容か・・・。三鬼著の「神戸」には広東人王兄弟(の弟の方)の破天荒な逸話があるが、同一人ではないかもしれない(年齢が60歳と50歳、留日学生とは思えない)。神戸山手通/三鬼館に住んでいた頃の三鬼の周りの奇怪な外国人達の実話・エピソードは事柄として厖大で、とても俳句に縮めるわけにはいかない。また王氏の不可思議な意識と行動は興味津々であるが、三鬼にとっても理解し難い可笑しさであって、その経路をたどれば厖大ならざるを得ない。王氏の複雑怪奇なる心情・意識は今は端午の日の子供のように、安逸かつ無邪気な昼寝の中に、その、厖大さを完全休止している・・・・と私は読んだ。(片山了介)

 麦
光線と伸びるリズムが一しよです  和田邊水楼

「麦」と「光線」の伸びるリズムが同じ、と感じた感性を好ましくおもう。どうせなら、タイトルにしている「麦」も入れて句にしてほしかった。まだ俳句になる手前の言葉のよう。「一しよです」の口語が、安易すぎるような気もするが、あえて稚拙な感じを選んだのかなともおもう。(原 知子)

受驗子に國史は遠く遠くありぬ  岸 風三樓

連作「採用試驗」の4句目で1句目に官衙とあり、また、作者が逓信省等に勤務された由から当該省庁の採用試験であろう。当時の事は書物等で知るしかないが、戦争に進んでいく国史に疑問を抱きつつも時宜に応じた回答をしたのではないかと思うと自由に意見を述べ得る現在は有難い。(谷川昭彌)

太平洋膨れ夕日を浮ばしむ  嶋田柊雨

「静狩」(長万部町)の前書き、大きな景である。表現として夕日の沈む一瞬を海が膨れることで浮き上がらせたように書いている。写生は主観なのである。この作者、野村柊雨であるならば婿養子になったか。ミレーの晩鐘のように、祈りにも似た心境なのだろうか。(綿原)

家々にをとことをんな冬の月  百井句一路

「男と女」と書くと、50年近く前のルルーシュの映画を思い出します。ただ「をとことをんな」になると何となく柳吉と蝶子の「夫婦善哉」を連想するから不思議です。どこの家にもある避けられない両性の人間関係を冬の月が冴え冴えと照らしています。「春の月」としなかったところが憎いではありませんか。 (四宮陽一)

家々にをとことをんな冬の月  百井句一路

名句ではない、ユニークで何か気になる句である。ただ平明な言葉を並べる。家々をとことをんな冬の月全世界に男と女の二種類の人類しか存在しない。分かりきった現実である。それを逆手に取り、中七に堂々とをとことをんな。下五は冬の月。季語の動く句である。冬銀河、寒の月の方が相応しいと思われる。しかし冬の月と作者は詠む。リズム良く、何か耳に残る作品である。読み手に作者は作品を渡し、どうだ・・・と言っている様だ。(辻本康博)


「自由苑」より

行春の賦に胎動の和する時  志波 汀子

経験が無いので、胎動の感じは分かりませんが、幸せに満ち足りている時期ではないかと思います。胎動は、新しい物事が生じようとする時などに比喩的に使われることもありますが、季語「行く春」との相性もバッチリだと思います。(小寺 昌平)


「三角点」より

鞦韆が垂れてゐるだけの蒼い夜  兵庫 水谷静眉

ブランコは詩情をそそる遊具である。夜のブランコや公園をうまく表現していると思う。しかし、三鬼の「選後言 葉」によると、元の句は「鞦韆が腕組んでゐる蒼い夜」で幼稚だから直したとある。どうりで・・・・。これは、まさに三鬼の句と言ってもいいだろう。(恵)

(白文地選)
ひとり身に馴れてさくらが葉となりぬ  神戸市 藤木清子

前年までは「水南女」名で投句。「清子」名で「白文地選」に投句したのは今号が初めて。そして、いきなりの巻頭。掲句はその5句目で、宇多喜代子氏選「藤木清子百句抄」にも入っている。白文地選後評には「藤木君の作品には偽らず飾らざる自分といふものがぐんぐん押し出してくるところの力がある。・・・第5句には云はばやるせなき諦めとも言ふべきものがある」と絶賛。夫を病気で失い「戦死者の寡婦ではない寡婦」という辛い立場。暗い戦争時代の薄幸な女性の心情を一途に描いた画期的な俳人だ。以降の活躍を注目していきたい。(新谷亜紀)


アップが遅くなりました。いつもすみません(ハラ)

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