戦争俳句についての偶感

  • 2013.05.19 Sunday
  • 22:59
 【原・記】

鈴木六林男がフィリピンのバターン・コレヒドール戦で負傷したのが昭和17年、
というのを年表で確認し、ネット書店で売りに出されていた
『陣中新聞 南十字星文芸集』という本を購入した。2、3年前のことである。
(結構な値段だった。ほどなく、近所の古本屋でその半額以下で売られてるのを
知ってしまった)

昭和17年6月15日印刷発行
編集者 陣中新聞南十字星編集部。
230ミリ×150ミリ、総ページ数307ページ、表紙は向井潤吉。
なかは3部構成で、
「マニラ攻略編」「比島事情編」「バタアン攻略編」となっている。

エッセイ、俳句、短歌、詩(文語定型詩が多い)、写真、スケッチなどが
掲載されており、
どれもフィリピンに従軍していた将兵たちの作品である。
俳句もたくさん載っている。

戦地でこのような本が作られていたということに、まず驚いた。
前線では、俳句などを書き残しておけないので、全部頭に叩き込んだ、
という六林男の話は有名だが、
けっこうみんな、文芸をやっているじゃないか?
限られた特権階級にあった人たちの作品集なのだろうか?

(別の古書店のカタログにもこの本が売りに出されていて、
問い合わせた時点で既に売り切れだったのだが、そこの店主も
「第一印象では戦地でノンビリしてるなと思いました。
進駐した当時当方は勝っていたので、余裕があったのでしょうか」
とおっしゃっていた。
ちなみにこの店主の父君が昭和30年代に浅草で古書店をされていて、
俳句関係の本を取り扱っていたため、三鬼や波郷、不死男らがよく
訪れたという。「三鬼先生とよくお茶を飲みながらいろいろ有意義な
お話を伺いました」とか。どんな話だったのだろう)

詩やエッセイは、この戦いや戦友を讃えるもの、
戦意を鼓舞するような内容が多くみられた。
「思へば幾年夢に見し
南の国に今着きぬ
忠勇無双将兵の
決死の覚悟君見ずや」とか。
(死を覚悟した父親が子どもたちに向けてつづった文章など、
読んでいて胸がつまるようなものももちろんある)

俳句にも勇ましいものもあるが、
季語が入ったり、自然の事物が一緒に詠まれるためか、
戦争だけが、突出して前面へ出てこないように感じる。
俳句独特の空気感がある。
戦争俳句でも従軍俳句でも、やはり俳句だなあと、
あたりまえのことを思う。
俳句形式の強烈さ(呪いのような?)を改めて感じる。

少しだが、目についた句をいくつかあげてみる。

マンゴ喰ひ鉄帽灼くる誰も言わず 菅原一峰
入廠馬快癒獣医官暑気云へる  〃
戦地図に一匹の蠅うるさがり 板谷重僧
マッチ擦って注射の明り虫鳴けり 橋本国一
月蒼し吾がのびたりし爪髪よ  〃
悉く橋墜とされし炎暑かな 山本ちかし
曳かれ来て香水匂ふ敵の捕虜  〃

従軍俳句については、当会の西田もとつぐさんが、
野平椎霞の従軍俳句を対象にして論考されている。

「従軍記」軍医野平椎霞の憤怒と慟哭
http://kyoudaihaiku.jugem.jp/?cid=8

また、すこし前になるが、筑紫磐井さんが
「blog俳句空間―戦後俳句を読む」の
「文体の変化【テーマ:リアリズムの発祥 銑ぁ曄廚箸いο盛佑里覆で、
戦争俳句や戦争短歌を紹介されている。

文体の変化【テーマ:リアリズムの発祥 
http://shiika.sakura.ne.jp/sengohaiku/haiku-style/2012-12-28-12621.html

文体の変化【テーマ:リアリズムの発祥◆
http://sengohaiku.blogspot.jp/2013/01/blog-post_4.html

文体の変化【テーマ:リアリズムの発祥】
http://sengohaiku.blogspot.jp/2013/01/blog-post_4232.html

文体の変化【テーマ:リアリズムの発祥ぁ
http://sengohaiku.blogspot.jp/2013/01/tsukushibuntai0118.html

「一般常識で思われているように、戦争俳句に、聖戦俳句と戦火想望俳句と反戦俳句があったのではない。それでは戦争俳句をリアルタイムで見ていることにならない。現実にあったのは、現場を持たない聖戦俳句(戦火想望俳句を含む)と現場における従軍俳句があったのである。そして従軍俳句の中にも、聖戦俳句的なもの(戦火想望俳句的なものを含む)とリアリズムに近い俳句があったのである(従軍俳句は、戦後の職場俳句と同様徹底した理念を求めるわけにはいかなかったから)」
(文体の変化【テーマ:リアリズムの発祥】より引用)

野平椎霞の従軍俳句は、「リアリズムに近い俳句」にあたるのだろう。
というのは、すぐわかるのだが、
鈴木六林男や富澤赤黄男のような戦争俳句は、どうなのだろう。
戦争俳句であると同時に新興俳句である彼らの作品は、
ほかの従軍俳句と同じカテゴリーのものとは、とても思えない。

従軍俳句、銃後俳句、戦火想望俳句とかの括りより、
新興俳句であるかそうでないか、という違いのほうが、
たぶん私には大きい。ということか。

だんだん、収拾がつかなくなってきました。
とりあえず、今日はこのへんで。

















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