「京大俳句」ひとり一句鑑賞(5)

  • 2013.05.29 Wednesday
  • 09:41

「京大俳句」第五巻(昭和12年)第八號


「會員集」より


兵隊が征くまつ黒い汽車に乗り  西東三鬼


「京大俳句東京句会(第五回)靖国神社灼けて照る機雷の照りに触るるべからず渡辺白泉昇降機しづかに雷の夜を昇る西東三鬼」(P59)昭和12年は大陸の戦線が激化し、満州国に総動員法が布かれ、第二次ノモンハン事件で対ソ関係も悪化する。出征兵士の増加。この時代を三鬼は「黒」で象徴的に表し、白泉は即物的に「機雷」で表現した。戦争は狼の仮面で意外と「愉快な顔」で現れてくる。それを嗅ぎ分けるのが文学者のしめいである。三鬼の「昇降機」の句に治安当局が指摘するような社会状況が描かれているのではないか。(西田)


兵隊が征くまつ黒い汽車に乗り  西東三鬼


こんな実景を見た人はもう殆どないであろう。僕は少年時代の印象に強く残っている。どこかの任地に送られるのあろう。何輌もの長い長い黒い貨車に兵隊が満載されて征く。中には無蓋車に詰められて、横になれない程にぎっしりと、銃を抱えて座っている。その黒い貨車の色に、汽車の煤煙で軍服も、顔も真っ黒な兵隊たちだ。この三鬼の〈黒〉5句を見て、三鬼は黒に時代感覚=抵抗感を籠めたのかと見たが、最後の二句に至って、単なる風俗的視野での黒のムードだけを採取したのだとがっかり。因みに、この号の会員集65句の中の無季俳句は45句もある。(佐々木峻)


僧を乗せしづかに黒い艦が出る  西東三鬼


句題「黒」。黒のイメージと表現では ̄れ肌が焼けているI埆傍掘不吉、いかがわしさ、不気味だ気靴ないこと、失態ゼ抂悪徳、疑惑などの象徴。陰陽五行説では北に配し冬の色である。その「黒」の連句、五句。どれも素晴らしい作品であるが、そのなかで気になったのが、上記の句。句の説明はいらないと思われる。死者をほうむるための儀式を司るのが僧。その僧を乗せしづかに艦が出る。無季俳句なので散文のようではあるが、三鬼は黒を悪の権化ととらえ怒っている感性は胸にずしりと響く。後の四句も同じ目線の作者が詠む。俳句界では有季定型が大部分を占めているが無季俳句を詠むと初心の頃の感性が甦る。(辻本康博)


僧を乗せしづかに黒い艦が出る  西東三鬼


遣唐使船なら僧が乗っていて不思議はないが、軍艦に乗せていたとは驚きである。世界史上初めてかもしれない。兵隊が死ぬことはきっと始めから計算されていたのだろう。三鬼の心中は、「艦」は「棺」であったに違いない。( えいじ)


學園の歴史は石の壁に聞け  中村三山


掲句は〈始業鐘犬儒御用の尾を振りくる〉〈アカデミの高い紙食ふ羊ども〉〈索漠たる講義空腹が受けつけぬ〉〈若き日の夢と學園を去りし君〉につづき、掉尾を飾る。いずれも學園(当時の帝国大学)のある側面を、シニカルに中村三山は詠んだ。学府は大衆化し今日に到っているが、三山の詠んだ側面は思いのほか変わっていないのだろうか。〈歴史は壁の石に聞け〉は至言。(花谷清)


學園の歴史は石の壁に聞け  中村三山


表題はないが学園を詠った5句のひとつである。単なる呟きか学問への憧れか、はたまた自己に対する嘲笑とも取れる句である。季語はなく明らかに斜に構えたものであるが読む者に何か訴えるものがある。(谷川昭彌)


琵琶法師泣きひろひゆきバアの戸を  中島手火之

琵琶をもった流しがあっても不思議ではないが酒の席に弾き語り、ちと陰気そうです。枯芒の伴奏もしたのだろうか。(綿原)


香水の香の圏内の椅子五つ  宮崎戎人

どうでもいいようなことを詠んでいながらなぜか印象に残る一句。聡明さではなく無邪気さの中にある詩眼の確かさ。活用語を用いない骨格の強さ。大胆な構図とおおらかさなどなど。(小寺 昌平)


「三角点」より


影絵売り影絵となりぬ風の中  山口水星子

人形や動物の形に棒が付いているのだろうか。《ランプ売るひとつのランプを霧にともし》安住淳の夜店にアセチレンのランプに照らされた風情はなつかしい。面売りが面をつけてうるとかいう句もあったようだがどなたか知りませんか。(綿原)


新聞新しければ鳴らさんと真似てみたり  東京 山口一夫

新しい朝刊を配達人がやるようにぴしっと音たてて真似してシゴいているのである。朝の気配や、新聞のインクの香、を呼び起こす。少年だろうか(?)配達する人の活気をもらっている、受け手の気持ちの動きもみずみずしい。(堀本吟)


電燈に咲いては皆んな賣られる薔薇  有吉峰水

「よみせ(夜店)」の中にある破調の句。何だか藤圭子の唄う歌詞のようでもあり、微妙にデカダンスの匂う俗っぽさに妙に魅かれます。俳句というよりは短歌にして、後に自由に七七を付けるとすれば皆さんはどんな言葉を選ばれるのでしょうか?私の七七は胸の中にありますが、ここでは恥ずかしくて……。(陽一)


植木市の中から古い貌が出る  有吉峰水

「古い貌」ってなんだろう、「古いつきあいの知りあいの顔」のことか。それより、表情もはっきりとわからない、古び掠れた人の顔のようなものを想像する。雑然と並べられた植木の間に、古い雛人形の顔のようなものがふっと現れる……心霊写真みたいで怖い。(原知子)

さつき咲き働かぬつめつんでゐる  神戸市 藤木清子


五月は生命力に溢れた季節。その反面、精神的にはどこか陰気な時季でもある。「五月病」もこの頃だし、「さつき闇」「五月忌」という暗い季語もある。掲句の場合、明るい初夏の日差しの中さつきは瑞々しく咲き満ちているのだろう。一方作者自身は、対照的な日陰の身。寡婦となり兄の家に身を寄せている。ろくに働きもしないのに爪だけは伸びる。そんな自分がどこか疎ましい。「働かぬつめ」という鋭いとらえ方。「さつき」「つめ」「つんで」のひらがな表記も空虚感を増している感じ。(新谷亜紀)


無職賦4句中(第1句、第4句)
寝ておきて野にタンポポといる日頃
タンポポは野に呆けわれは社会に呆けたりよ  東京市 山口一夫


作者は失業して世に容れられぬ境涯にあるとおもわれ、無為に無聊をかこつ春の一日、道行く路傍にはタンポポが楚々と咲いて、その素朴にして淡々と生きる花への共感あるいは哀感を詠んだ。自然の中のタンポポと、社会に生きる自身とを対置すれば、環境の中に生きるものという繋がりを感じつつも、人間には自嘲の心が萌し、タンポポにはただ無心、無邪気に咲くのみである。人はかくして自然に癒されざるを得ない。(片山)


たはむるゝ子等にカンナはきほひ咲く  渓山梅子

今月の「會員集」の昇子、三鬼、白文地の軍隊や兵士を詠んだ句に圧倒されました。一句鑑賞もきっと今月も三鬼の句に集中すると思い、全然違うものを選びました。カンナ自体もあまり目にすることはなく、子育て自体も遙か遠くの思い出の世界になった今、私には新鮮に感じました。(恵)


「選後の言葉」より


三鬼選の選後の言葉に注目しました。「消化不十分」「使ひ古した感じ」「季語を必要とします」「前書きを除いて」「他人には判りません」などの評をはさみつつも「持ち味を捨てないで作られたし」「落膽せず續けて下さい」「物を発見する様、眼を鋭くして下さい」「露出し過ぎてゐます」などの果て「誓子の句集が今の貴君の教科書として絶好」などと、簡にして要を得ていてあたたかく選者としても優れていたのですね。(石動敬子)

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