ひとり一句鑑賞(7)

  • 2013.08.01 Thursday
  • 18:11

 「京大俳句」第五巻(昭和12年)第十號

「會員集」より

二科の窓天幕の兵のどつと笑ふ  西東三鬼

二科展の会場の近くに兵が集っていた、というのはさすがになさそうなので、ひたひたと身辺に迫りくる戦争のあり様を描いた作品と捉えるべきだろう。兵の「どつと笑ふ」姿からは、三人の老婆の笑いとは異質の不安感が漂う。(岡村知昭)

あひびきす千人針の街角に  和田邊水樓

この句については、作者自身が同じ10号の「戦争と俳句人」という稿で、戦時下の逢引を不謹慎とする説 と子孫繁栄を図るためならむしろ忠であるとする説の間に立ち、やはり‘恐ろしき凡夫の煩悩’としてその苦しい感想を綴っている。ここには当然季語の入り込む余地もないし、自然の景もない。息苦しさだけが残る五七五を詠み、また聞くご時勢だけは二度と到来して欲しくないものである。(陽一)


あひびきす千人針の街角に  和田邊水樓
逢曳す 万歳の声巷にあふれ 

戦争一色にのめりこむ世情にあって、恋愛にうつつをぬかす者は「時節柄不謹慎」か、いや「かかる時節にこそ子孫の生殖をはかるべきで、銃後の逢曳も国家に忠なる所以」と反駁するか(P15−16和田邊水楼(戦争と俳句人」より引用)。戦争へと流れいき止めようのない時勢にあってもなお街角に逢曳の快楽を求めるは、煩悩熾盛の人の性であり、それをも抑圧せんとする国家・社会とのギリギリの葛藤を表現している、と思う。こういう事情を俳句の表現に持ち込むことには、多くの同系・戦争俳句と同じくかなり抵抗感をもつのだが……。(片山 了介)


沼はぎらぎら夫人とわれの性欲に  和田邊水楼

気になった一句。性欲の文字が目に入った。僕の好みとしては”性欲”といふ言葉を使はなくても甚だ性欲的で”沼はぎらぎらと夫人と我”だけでよろしいかと思ふのだが、これは好みの分量が多いから此の場合”性欲”といふ言葉の効果も一應認める ーーと会員集合評で三鬼は評している。私も同感である。”性欲”という言葉を句の中に表現すべきではないと思う。性は秘するもの(古い考えかな)それに俳句はすべてを言うのではなく、余韻を感ずる文学であろう。おこがましいが、われの厚き胸、夜が明ける。有季では雪しまき、雪はげし、五月闇、春愁などの季語で詠む、私の個人的意見である。(辻本康博)


  軍事郵便
夕あめ悴は戦に征きて候(そろ)  仁智栄坊
哨兵よそなたの嫁は自害せり

他の飛行機搭乗を含め広い意味の戦火想像句であろう。この二句は軍事郵便のイメージより創作された物語的な風景である。物語的な風景の創作はそれが真実か否かを通り越した創作世界に及ぶことは否定されるべきではない。「嘘」の創作を恐るべきではない。しかし、俳句の短い詩形では「自害」の意味が伝わりにくい。(西田)


バンザイを風雨の底に聞きし思ひ  芝昌三郎

無季でしかも口語で戦争を詠んだら、この人は本当にうまいと思う。「台風に出征の街は褪せたり」と「あてのない夕ぐれの鋪道たゞ硬い」に挟まれた連作三句のうちの真ん中にある。三句目の「あてのない」の句は、戦争に関係なく、悲しい出来事にみまわれたときの心境を表す句と解釈してもいい。(恵)
                                                                
                                                                 

千人針を前にゆえ知らぬいきどほり  中村三山
千人力心たのしまぬ日は書かじ
日章旗を手にわれも国民の一人


 野平椎霞 「従軍記」より  
 千人針もじうすれゆき春かさね    昭和15年
 温石(おんじゃく)が千人針をあたためている  同
 赤痢みな千人針に巻かれてる  同
 同じ厭戦的な句ながら内地と前線との俳句の違いは興味があります。(西田)


                             
「自由苑」より

  戰火
葉鶏頭萬里長城灼けつらなり  堀内 薫
  

このひとは、題材によって書き方が変わる。これは、戰火想望俳句というべきか、葉鶏頭の複雑に色のまじる「赤」や群生のさまを、戦の炎や灼けつく太陽にたとえている。また、この句では万里の長城の焼けて連なる様をたとえる。敵国「支那」の象徴をものすさまじくえがくことは、日史事変の戦争のさまを表現しているのだが、作者の心理は、戦火の凄まじさを「風景」にかくところに焦点があり、反戦とも好戦とも心象はさだかにはうかがえない書き方をしている。が、世情に対して緊張していることだけは確かである。(堀本 吟)

白砂のあとさきの影非国民  堀内 薫

この戦時下に二人で土佐の荒磯を散歩していることに限りなく後ろめたさを言い得ているようで。定年になって大阪市の坪農園に、客待ちタクシーを横目に通ったときのことが思い出された。次元が違うけど。(綿原)

  中級登山
朝吹けば月まづ白き石と化る  上島 泉  

登山の句だというから、山小屋などにとまって、早朝に出発、かなり高いところで月を見たのだろうか。強い風が吹いている、山の天候が変わるとたちまち周辺の光景が変わるのだが、まず、月が白い石のように硬くみえてまるで白い石に変質したようである。化ける→化る(なる)という漢字が効いている。語らずしてこれからの難儀を予想できるような、不気味な暗示的な光景である。(堀本 吟)


           
 「三角点」より

白文地選
蜥蜴の尾空の深さと生きてゐる  大阪市  橋本雅子

白文地選の巻頭五句の内のひとつ。前書きが付された「英靈かへる三句」につづく四句目の作品。〈蜥蜴の尾〉は延命を図る蜥蜴が切り捨てるもの。蜥蜴とその尾が、それぞれ何を象徴しているかは、当時の時勢の文脈において解釈できるのだろう。掲句は更に、時代を離れて訴える普遍性も感じさせる。〈空の深さと生き〉は反語といえる措辞。〈蜥蜴の尾〉へ寄せる作者の眼差しが優しい。(花谷 清)

白文地選
きりぎりす昼が沈んでゆくおもひ  神戸市  藤木清子

世の中が大きな戦争の時代に入った昭和12年。寡婦となった清子の拠り所のない孤独感。そこへ社会への不安も押し寄せてくる。長く空しい「ひとり」の「昼」の時間が、きりぎりすの鳴きしきる夕刻へ、夜の闇へと流れていく。特殊でデリケートな女性心理を「昼が沈んでゆく思い」と表現する見事さ。心を研ぎ澄まし内観したこの作品は、藤木清子を代表する一句とされる「ひとりゐて刃物のごとき昼と思ふ」(昭和13年「旗艦」3月号)に通じる名句だと思う。(新谷亜紀)


三鬼選
蝶まひぬにちりんとほくもえさかり  大阪  かねもと愼

地球と太陽の距離はおよそ一億五千万キロメートル。一月四日頃に最も近く、七月四日頃最も遠くなるが、北半球はそのころ気温が高い。蝶の生まれる四月頃はその中間にあたり、舞うにはちょうどよい距離なのかも知れない。目の前の事象から宇宙との繋がりが見えてくる一句。(小寺 昌平)   

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