ひとり一句鑑賞(10)

  • 2014.01.29 Wednesday
  • 14:06

「京大俳句」第六巻(昭和13年)第二號

「自由苑」より

さくら枯れてかなしき軍歌こゝに聴く  貞永 勝

丘の病舎のタイトルで、さくら枯れての連句の一句。さくらは日本の国花で、古くは「花」といえば、桜を指した。そのさくらが枯れて・・・。作者は当時の日本(さくら)を憂国と感じているのであろう。主観的な言葉で、かなしき軍歌と詠い、やりきれない感情をぶつけている。軍歌は兵の士気を高揚させるための歌であるがその軍歌の前に、かなしきと形容詞で強調している。しかも軍歌を体や心を病んでいる病舎で聴いている。戦時下での日本で、若者の厭世感が感じられる作品である。(辻本康博)

さくら枯れて咳の谺がするところ  貞永 勝

「丘の病舎」と題し、「さくら枯れて」を上五の7句、の6番目。勝は昭和13年4月9日亡くなり、6月号で西田等が「貞永勝君を深悼す」の10ページを編む。 崢膠幣〃を偲ぶ」井上白文地、◆崚蕁彑電磧↓「故貞永まさる君のこと」仁智栄坊、ぁ嵬蟻蝓從妥鎚嫂縵讚ァ崛曚そ个腔屬法彎谷黄火、Α峺凌佑悗了篆」村田有路、А崟犬ている勝」西田等以上7編。白文地が「私は特にさくら"一聯を佳品だと思う。病床にあって無上の諦観に達していたと思われる」とあり、生きている証の如く咳が続くかに。イ硫火が「1月5日のやまびこ吟社の新年句会に清書させた3句が絶筆かと書いている。しからば「丘の病舎」は本人が書いたか代筆になるか昭和12年年末に出稿されたと推測も淋しい。(綿原)

抱擁はいそぎんちやくに映りけり  堀内 薫

初めて、京大俳句の堀内薫の作品をまじまじと読んだ。この句は、明るく健康なユーモアと男性的自信をにじませている。カメノテやフジツボの甲殻類は美味しく食べられるが、こちらは食べられず、何の役にも立たない妙な生物であるが、こうして表現されたのは、種として名誉なことだろう。「映りけり」とは、カメラのレンズに似た動きをイメージしたものか、女性のお体の一部のつもりなのかは、さっぱりわからない。
氏は、創刊会員ではないのに昭和15年2月、突如行方不明となった。「荒磯」の連作に見られるように、魅力的な男性だったろう。吉永さゆり主演の若妻教師と生徒らの消し去れない悩みを描いた映画「北のカナリアたち」の暗さはみじんもない教師だ。洲本中学の生徒たちは憧れの先生の身に何がおこったか理解できずおびえた。もと教え子の1人、内藤信行氏は、私の従兄弟の妻の実父で、従兄弟の結婚式でただ一度野平椎霞も私も面会しただけだが、私はなぜか長く文通し、時々長電話をかけてきて豪快な官僚批判などあれこれ聞かされた。
以下、平成20年4月11日の長文の手紙の一部を転記する。野平椎霞合冊遺句集贈呈の礼状であるから、素逝の句と比較したりして野平椎霞の特質や俳句評を充実して述べているが、別の機会に譲る。会いたいなあと何度も言ってこられたが、その機会の前に亡くなった。
「京大俳句には私にも忘れ得ぬ接点があります。昭和14年県立洲本中学に入学したときの国語の先生に堀内薫先生がいました。京大昭和4年卒で京大俳句の創立にはかかわっていないようですが、後には深い関係を持った人です。誓子と天狼の創立にかかわったり、西東三鬼、平畑静塔らとも親交があったようです。授業の時板書したのが、長谷川素逝の「友を葬り涙せし目に雁高く」「わが馬をうづむと兵ら枯野掘る」の句でした。」咄々と戦争句の解説をきかされた。」(野平匡邦)


「三角点」より

  三鬼選
産毛いまだ濡れて煖爐の邊にねむる  東京 古賀順子

西東三鬼選で「娘伸子の初産」と題のある十句中の一句、生命誕生の前後が克明に詠まれている。新生児との初めての触れ合いの中で、主情を殺した眼の働きと、デッサンの確かさが魅力の句。(小寺昌平)

軒並に兵征けり露地凍てしまま 浜松 土屋安曇

戦争俳句真っ盛りの今号である。無季で詠むしかない、切迫した事象や情景を叙するに伝統の花鳥諷詠から脱して、新興俳句運動の存在価値をまさに演出するものとして、句作盛行の時節である。この句は「軒並に」が効いている。各家戸より老若男子全て徴兵され出征した街区の寂寥・空虚感が「軒並みに」拡がって在り、露地は救い難く凍てかえって寒々として変わることがない。軒並みにたつきの働き手を失った町を描いて、底流に深い反戦の思いを表わしている。(片山了介)

  白文地選
追憶の壁と時計の裏に棲む 神戸市 藤木清子

2月号は「戦争俳句特集」で、少々食傷気味のところへ、この句は新鮮だった。選者の井上白文地もべた褒めだ。白文地も言うように「追憶」「愛憎」「現実」などの抽象的な言葉は、使いようによっては陳腐に聞こえることもある。しかし、藤木清子の感覚は、現代の私たちにも十分に通じる感覚であると思う。(恵)

枯れ枝につかれし脳をかけてゐる 豊中市 西田 等

五巻十二号藤木清子「虫の音にまみれて惱が落ちてゐる」を類想する。清子の方が嘘っぽくて良いが、等の「つかれし脳」も共感できる。私なら差し詰め「腐りし脳を取り替えたい」ところである。(安藤英司)

炊事場にいつもゐる妻遠き妻  豊中市 西田 等

戦時下の重苦しい空気や病室の薬剤の臭いのする句が目立つ号にあって一旦通り過ぎた後、ふとまたそこに立ち戻ってしまう句がこれ。日常の風景のように毎日三度三度台所に立つ妻。いつもそこに居ながら久しく満足な会話も交わしたことがない。存在が当り前の空気のようなものと言ってしまえば聞こえはいいが、本当にそうだろうか・・。何気ない繰り返しの中で、お互いがいつの間にか遠く離れて行っているのではないか・・。今の世にも通じる夫婦の‘本当は怖い’生態をこの句はソッと語りかける。(四宮陽一)

ペロナール〇、八グラム秋は逝く  大阪市 吉田 薫

ベロナールはバルビタールのバイエルの商品名で、睡眠薬である。このことを知らないと、意味不明で退けられてしまうので敢えて挙げた。「行く秋」を「秋は逝く」と自殺願望的であるが、この量では死ねない。このあたりがロマンチシズムというか、わかってのことなら軽妙である。(安藤英司)


「会員集」より

機関銃一分六百晴レ極ミ
機関銃眉間ニ殺ス花ガ咲ク  西東三鬼

三鬼は前号よりカタカタを使用した機関銃の句を詠んでいる。「眉間ニ殺ス」と「花が咲ク」を並べて読むのか、「眉間ニ」「殺ス花」が「咲ク」と読むのか。意味を追うことはできないが、機関銃の(そして近代の)非情な鮮やかさを感じる。原色で描かれたような俳句。このような句を「戦火想望俳句」という枠に入れて考えるのはあまり意味がないのではないかと思う。(原)
 
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