ひとり一句鑑賞(11)

  • 2015.02.06 Friday
  • 23:11


「京大俳句」第六巻(昭和13年)第四號 

                    


「会員集」より


喇叭吹く星やはらかに生るる世を  三谷 昭


喇叭を巡る3連作の最初の句。荒涼とした戦争俳句の野を読み進んでいると、ふと殆どの句に季語が失われている事に気づく。戦争には季節感を寄せ付けぬ、あるいは四季の移ろいとは無縁の切迫感があるようだ。この句にも厳密な意味での季語は見当たらぬが、やはらかに姿を現す星には何故か春の季感が漂う。喇叭の音につきまとう‘戦意’とは離れた世界がそこにある。「生るる夜」でなく「生るる世」としたところがにくい。(四宮陽一)


軍橋もいま難民の荷にしなふ  平畑静塔


軍橋は造語である。軍が造った橋か、軍が利用するための橋かは分からないが、日中戦争の出来事である。軍の重要拠点である橋に、避難するための荷物を持ち多数の難民が行き交う。頑丈な橋も難民の荷物にしなうほどだ。作者は冷ややかな目線で、この風景を見つめている。軍のための橋が、今は難民の役に立っている。反戦の言葉は無いが、軍橋、難民、荷にしなふと言葉を繋ぎ、軍への皮肉、非難と合わせ、平和を願う作者の心情が読み取れる。(辻本康博)

 

生き疲れしひとぞ戦争に甦る   宮崎戎人


死にかけて生気が失せたような人も、近頃そわそわしている。景気が悪いと嘆いた人がぼやかなくなった。お祭りがあると急に元気になるように。景気回復の手段として戦争も有効と云った人がいたが、例えにしても庶民の蓄えが紙屑になる代償であることに間違いない。 三橋敏雄の「戦争にたかる無数の蠅しずか」を思い出した(綿原)

 
 

「自由苑」より

 

敵機載せ雲塊の吹雪き来るか  堀内 薫


堀内薫が昭和15年に逮捕された理由がこれまで理解できなかったが,今号を読んでその活躍ぶりが目を射た。「吹雪き来るか」は「吹雪きがきたる」ではなく,「吹雪いてきたるか」の意味だと思うが,「敵機待つ日々」連作5句の中で辛うじて理解できた1句。難解句ばかりだ。杭州南方から東方へ敵機12機が上空高く飛んで行った景を多分想像して詠んだ句で,「敵機載せ雲塊の」は映像的な表現として上手だ。内地や日本軍の被害を案じているかと思われるが,本質的には戦争を嫌悪している句ではないか。字足らずの下の句になんとなく不安を醸し出す感じがあるが,1種の技法なのか。「きたるか」「くるか」のどちらでも読めるというのは,日本語表記法の問題だとも思うし,不安を煽る効果があるのかとも思う。

堀内薫「事変俳句総論」は7ページの大論文で,岸風三楼の編集後記に取りあげられている。岸風三楼の会員日記では,山口誓子が「戦争と俳句」を翌日ラジオ放送するに当たり選んだ5句の中に堀内の句「天征くは青年将校と風伯と」が入っていると書かれている。「風伯」は風の神様だそうだ。

作句が減ってきた野平椎霞が大病回復後に千葉県佐倉連隊に入営し,翌昭和14年夏に病院船で上海上陸するのと対照的に,前年の京大俳句で堀内薫が縦横無尽の活躍をしていたことを知り,才能と逮捕の背景を納得できた。悲劇は近づいてきていた。(野平大魚)


よろこびはぢらせばふつと消えて行く  志波汀子


久しぶりの志波汀子の俳句。口語俳句である。私の場合「よろこぶ」ことの少ない毎日である。他人から見れば、ひょっとして喜ばしいことでも、素直に喜べない自分がいる。素直に表せば「よろこび」は消えて行くこともないのであろう。同じ作者に「よろこびはじつと抱きしめてをればよい」という句もある。しかし、「よろこび」は抱きしめていてはいけない。素直に表すべきである。(恵)


 

「三角点」より                                                 


寡婦貧しあをき若菜を買ってゐる  神戸市 藤木清子
 

ここで言う「若菜」は新年の七種粥に入れる菜のことだろう。「せり・なずな・・」いずれも香りが強く生気に満ちている。それに反して、自然の生命力からはほど遠い我が身。清子はこの頃、戦死者の未亡人ではない「寡婦」の苦悩を伺わせる句を多く詠んでいる。「若菜」の青さは残酷なまでに青く、目にも心にも沁み入るのだろう。(新谷亜紀)

                         


冬ぬくき寡婦に債鬼が訪れる  神戸市  藤木清子                                      


戦時下であっても、寡婦という身には、いつの世にも変わらぬ日常の生活はあれこれ続いている。冬になっても思いがけず暖かいと喜んでいた寡婦に、招かれざる借金取りが突然来たり、心重く冷えることである。庶民の生活の哀歓の情が平明に伝わってくる。冬ぬくしとキれば債鬼との異和感があるが、冬ぬくき寡婦ならば対照的に、俳諧的なドラマが感じられるように思う。 (片山了介)

 

紀元節五色旗掲ぐ家見たり   大阪市 樋口喜美子

紀元節学生の列に我行かず


紀元節は現在の建国記念日。明治六年、日本書紀の神武天皇の建国伝説を根拠に制定され万世一系の天皇制の国威を高揚する記念日であった。学校では式典が行われ、紀元節の歌を斉唱した。特に、昭和十五年を皇紀2600年にあたるとして様々な記念行事を準備した。日本は神の国であると戦時体制を強めていった。「京大俳句」の表紙の年号表示は西暦表示が多かったが、昭和14年七巻八号からは2599と表記されている。これは自主的なものでなく強制されたものであろう。樋口喜美子の句の五色旗は中華民国の国旗である。これを紀元節に掲揚した在日の中国人が親日的な意味で掲げたのか、抗日的な意志を表明したのか判断し苦しむが(当時、日本政府は泥沼化する日中戦争に手を焼き国民党を分裂させて親日的な傀儡政府を作らせようと苦慮していた。)作者の樋口は紀元節の行事には拒否姿勢を示している。それゆえに町中で見る紀元節の五色旗の掲揚は複雑な驚きであった。(西田もとつぐ)

 

砲火一閃野に進軍のうき上る  大阪市 橋本雅子


白文地選。作者名から推測して女性の作か。戦闘の場面が詠まれているが、実際にその場に居合わせることは無いと思われるので、事変ニュースなどからの取材かも。それにしては臨場感に溢れ、戦闘の不気味さを見事に突いている。(小寺 昌平)


 

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