ひとり一句鑑賞(12)

  • 2015.02.06 Friday
  • 23:22
                                                                                             
「京大俳句」第六巻(昭和13年)第五號 

「会員集」より
 
老兵と鴉びしょ濡れ樹の上に  西東三鬼

「老兵」は老いた兵士でなく、ベテランの中国人狙撃兵であるとの前文付きの句。「ラオピン」のルビも振 られている。この樹の立つのは広大な満州の大地であろうか。折から降り始めた雨に濡れそぼちながら敵を待ち伏せる兵士の姿は、同じ樹に留まる黒い鳥の影と重なり合う。それにしても、三鬼はどこからこの光景を眺めているのであろうか?(四宮陽一)
 
老兵の彈子しづかに命中す  西東 三鬼

銃口の向けられている先もまた掛替えの無い命なのであるが、そのことには触れず、「しづかに命中す」と、冷静で抑制の効いた捉え方をすることによって、戦争そのものの異常さと、作者の嘆きの深さが伝わってくる。(小寺 昌平)
 
一兵士はしり戦場生れたり  杉村聖林子

一人の兵士が、「敵襲来」と言って走ってきた。そこから、銃弾が飛び交う戦闘が始まる。戦争とはこういうものであろう。きっと、作者は映画の一シーンを見て作ったのだと思う。実際に兵士として戦場にいたというわけではないからこそ、こんなにも冷静に描写できるのではないかと思ったりした。(恵)
 
入學の子等に櫻は笑つてゐる  淺田善二郎

散文の様な句である。解釈すれば成長して入学した児童たちに桜は拍手をし、うれしくて笑みを浮かべていると詠める。だがそうであろうか。桜を擬人化して用いている。桜と菊は日本の国花である。児童は日本のために頑張ってくれる宝である。いや国益のための兵士の卵である。日本(桜)は出征のための幼い子供たちの前途を喜んで大口を開け笑っている。作者は戦時中の世相を憂い、擬人法で作品を詠んでいる。軍国主義の日本への非難、戦争を嫌う作者の心情と解釈するのは読み過ぎであろうか。
(辻本康博)
 
征子ゆれ花人ゆれてゆく電車    井上白文地
稿起す馬蹄の音が風と消え

巻頭論文のタイトル「戦争俳句論」に肝がつぶれた。井上白文地「戦争俳句の見通し」,山口誓子「戦争無季俳句のこと」,石橋辰之助「戦争俳句覚書」の3人競演だ。騒々しい危険さすら感じられた。76年後の今の私が2年後の弾圧とその後の会員の悲劇を歴史的事実として知っているためである。
私は白文地論文の抑制の効いた表現に感心した。三鬼の名作「機関銃熱キ蛇腹ヲ震ハセル」すら「ただ気が利いてゐる,味方が鋭い」だけではないかと,あえて疑問を呈している。「今日のところ出征軍人によって,まだ注目せられるほどの作品が現はれないと言つても,今後数年の間には,これらの作家によって,優れたものが生み出されるであろうことは,想像に難くない」と大胆に予測した。
白文地自身の同号の会員集の4句は実に穏やかな表現から成っている。穏やかに表現の抑制ができた指導者が,狙撃されたかのようになぜ最大の悲劇に会わなければならないのか。2句のみ引用する。
   征子ゆれ花人ゆれてゆく電車
   稿起す馬蹄の音が風と消え
ここではたと思いつき,インターネットで「野平椎霞」を検索した。この時期,椎霞は他の会員に先駆けて応召し,陸軍佐倉連隊の軍医少尉であった。「軍医野平椎霞の慟哭 西田もとつぐ(「京大俳句」復刊準備会会報 1号)」がヒットした。西田もとつぐ論文を読んでシュンとなった。遺族が言うので自慢めくが,「従軍記」は,白文地の予測を裏切らなかった作品群であると西田論文は述べているに等しい。白文地はこれらの作品を見ることはなかった。(野平大魚)
 

「自由苑」より
 
戦雲の蹠か白い性病院  堀内 薫

性病院と言えば、鈴木六林男全句集の栞で宇多きよ子さんが「三好潤子と腕をくんでいた高柳重信が突然振り返ってあれが〈かなしきかな性病院の煙突(けむりだし)〉を書いた鈴木六林男だ、よく見ておくことだ、重信の少し前を行く鈴木六林男を指さした」を思いだした。この句、戦雲の真っ黒いイメージに足裏の白と中七を詩的にまとめつつ白亜の性病院の斡旋が悪くない。堀内薫の全句集には戦前の句は一句もない。あたかも自分の青春をカットして、新興俳句を見捨てての再出発であったかに。六林男の句にそんなに劣るとも思えぬが如何に。富澤赤黄男の句集『天の狼』の最後の句に〈三日月よけむりを吐かぬ煙突〉がある。(綿原)
 
 
                                                                                            
「京大俳句」第三巻(昭和13年)第三號(追加分)

「自由苑」より

 郷人の憂へ    
          −大内兵衛検挙−
郷人の憂へ初號活字「大内」        堀内 薫
「改造」に「中央公論」に君は厖大なりし
皇師征く氷原の記事と君の不忠
紙面黝く大學メンバーの寫真群
粉雪降る囹圄に君は錠鎖されぬ
 
「改造」「中央公論」ともに大正、昭和を代表する総合雑誌。昭和19年の横浜事件に巻き込まれ廃刊となった。
囹圄=獄舎  郷人=同郷の人 大内兵衛は兵庫県淡路島出身   皇師=天皇の軍隊、みいくさ             
「大内兵衛の検挙」とは1937ー38年(昭和12年ー13年)の人民戦線事件の渦中の事件である。コミンテルン(世界各国の共産党組織)の反ファシズム戦線の呼びかけにより日本でも反ファシズム戦線が結成を企てたと共産党以外の労農派の大学教授、学舎グル−プ、政党人が検挙された。大内兵衛、脇村義太郎、美濃部亮吉、有沢広看、加藤勘十、鈴木茂三郎、江田三郎の学者、労働運動家が検挙された。治安当局が治安維持法の適用の範囲を共産党以外に適用した最初の事件である。平畑静塔が「方舟の中(二)」(六巻五号)で堀内薫の作品を取り上げていることは、迫り来る治安当局の動きに危機意識をいだいていたのである。(西田もとつぐ)

 
コメント
コメントする








    
この記事のトラックバックURL
トラックバック

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< July 2017 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM