ひとり一句鑑賞(13)

  • 2015.02.06 Friday
  • 23:31

「京大俳句」第六巻(昭和13年)第六號

「会員集」より

パラシュート撃たるゝほかはなき白さ  杉村聖林子

降下中のパラシュート兵はひたすら撃たれる恐怖にさらされる。銃を抱えていたとしても、撃つ体勢をとれず無防備である。パラシュート兵の服が白とは限らないが、撃たれれば血の色が鮮やかに変わるだろう。白さは弱さや純潔と同義だが、白いパラシュートで兵の命は守れない。撃たれるしかない。
「パラ+シュート」とは、「落ち+ない」ことと「撃た(れ)+ない」ことの両義を持つ英語かと思ったら、全くの勘違い。parashoot が正しいなら「撃たれない」の意味でシャレになるのだが、parachuteが正しい綴りの、元は仏語(さらに元はラテン語)だそうだ。日本語には落下傘という名訳がある。
では、仏語chute(発音はシュートではなくシュット)とは何か。英語ではfall(落下)。仏語シュットから英語シュートに取り込む時に発音が長音に伸び、ここに私の誤解が生じた。角川外来語辞典は、日本語ではパラチウト⇒パラチュート⇒パラシュートと変遷したことを記録している。
墜落chuteは防げるが、射撃shootはかわせない。撃たるゝほかはなし。無力さと無念さを表現する末尾の「白さ」が見事に効いている。(野平大魚)

従軍僧焦げし一枝を挿して去る  石橋 辰之助

従軍僧は軍隊に従う僧侶のこと。布教と慰問をなし、戦死者の葬儀や弔祭、負傷者の看護にあたった。
戦争で焦土になった地に供華の代わりの一枝を挿した。墓標のない戦地での一コマの場面である。ただ声を出し経文を読むだけしか出来ない僧である。死者に代わって戦うことも出来ない僧の喪失感溢れる句である。代わって戦う気持ちは私の独断と偏見である。挿して去るの下五に僧として、人間としての悲しみと反戦への気持ちが見える作品である。 (辻本康博)


「第二回特別募集」より

屍凍むポキリと裸木月に折れ  東京市 古川克巳

「戦争」と前書きがあるので、「屍」は兵士であろう。その屍も凍るような寒い日。全てが乾燥しきり、木の枝がポキリと折れる音がする。月はその音を聞いたのだろうか。ただ煌々と屍を照らす。私は山口誓子の「悲しさの極みに誰が枯木折る」という句を思い出した。(恵)

雨阿呆(あっぽ)僕の辷り台(すべりこ)ぬれるのよ 志波汀子

志波家の庭にはブランコも辷り台もあったのでしょう。子供は詩人と言ったけどほんとですね。(綿原)


「三角点」より

職がない俺は戦争に行つちまへ  山口一夫

戦争を二つに分けるとすれば、血の臭いのするリアルな殺し合いと観念的な紛争劇。集団的自衛権の論 議に出て来るのはどちらの戦争かとふと思う。思わず目を覆いたくなるようなリアリティーに満ちた十七文字の並ぶ中で、この句は少し違った光を放つ。職にあぶれ、食う手段を失って自暴自棄になった者の向かう先が戦争だとすると、戦後69年経った今の日本の危うさはどうだ。リアルな表現に満ち溢れた昭和10年代の戦争俳句を、今の日本に照射する意味合いは、思った以上に大きいのかも知れない。(四宮陽一)
 
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